実は兄が10月22日 17時29分に兄(33)が亡くなりました。
膵尾部癌 腹膜播種でした・・・
四十九日も終わり少し落ち着きました。
残された姉妹3人で分骨し、これからはずっとずっと兄と一緒です。
兄の病気が分かり始めたのは8月です。
9月には最初の病院で告知され長くはないことを伝えられました。
この時あたしはコロナの関係で病院に入れず、母と姉が説明を受けました。
兄との最後の外食をしました。
兄の希望で9月半ばに癌センターに転院しました。
ここではあたしと母が説明を受けました。
若いから進行が物凄く早いこと・もう抗がん剤は出来ないこと・できるのは腹水の治療をすること・1年や2年という単位ではないこと
2回目の宣告を受けました。
先生・看護師さん・母・兄・私・彼女さんで
今後について話し合いました。
このまま神奈川で治療を続けていくのか、地元に帰るのか。
あたしは兄の最期が分かっていたので
どうにかしてでも地元に連れて帰りたくて
大号泣しながら帰ってきてほしいことを兄と彼女さんに話しをしました。
先生や看護師さんも今後を考えると地元に帰ったほうがいいと言っていました。
もうあまり時間がなく結論を急ぐ状況だったので
2日の猶予が兄と彼女さんに与えられ2人で決断してもらうことにしました。
その日、家についたころ兄からLINEが入りました。
実家には帰るから。
との内容でした。物凄くホッとしたのと同時に涙が溢れたのを覚えています。
数日後に兄は実家に帰ってきました。
兄ちゃんが帰ってくるまでに家族で必死に作った千羽鶴を見て、【わっ!!】って喜んでくれた顔を今でも忘れません。
リクライニングベッドも入れて褥瘡が出来ないように高いマットも入れました。布団一式新しくして洋服ラックやケース、テレビの配置もバッチリにして兄ちゃんを出迎えました。
兄ちゃんなりの反応で喜んでくれました。
ちょっと長くなるので続きはまた次の記事で・
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これ書いてたら涙が溢れてきました。