民主党政権とルソーのフランス革命 | My Aim Is True

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学校教育やNHK高校講座などは、未だに美化する残滓が残っているようですが、今さらロシア革命(1917年)を美化しようとする人はほとんどいないのではないでしょうか。ソ連崩壊により、共産主義のプロパガンダの欺瞞が全て露わになったからです。

朝日新聞が「アジア的優しさに溢れていた」と報じたカンボジアではポル・ポト派が全人口の3分の1を大虐殺していたことが明らかになりましたし、「北朝鮮は地上の楽園」ではなかったし、称賛した中国の文化大革命では中国人を混乱の淵に陥れていました。朝日新聞は冷戦終焉後も何食わぬ顔をしていますが、一度、ケジメを付けるべきではなかったでしょうか。

もちろん、僕のように冷戦時代を知っている世代はともかく、将来、「かつてソ連を中心とした共産圏という地上の楽園があったが、アメリカ帝国主義の妨害に遭って崩壊させられた」なんていう教育が行われないとは限りません。


さて、ロシア革命=共産主義として嫌悪する人は大半でしょうが、フランス革命(1789年)はどうでしょうか?

フランス革命と言えば、「自由」「平等」「博愛(友愛)」「人権宣言」「国民主権」「民主政治(デモクラシー)の嚆矢」など、戦後日教組教育の影響をまともに受けた人なら、惚れ惚れするような美辞麗句が並んでいます。

そのため、ロシア革命と違って、フランス革命は何の警戒もされずに美化され、教育によって刷り込まれている気がします。もちろん、その思想的支柱となったのは「社会契約論」などを著したジャン・ジャック・ルソーで、それを実行に移したのがロベスピエールです。

そして、美化され続けているフランス革命の実態と言えば、ロシア革命に勝るとも劣らない血塗られた暗黒革命で、まさにプレ・ロシア革命とも言えるものです。

「平等」の旗印の下に富裕者の資産が略奪され、虐殺され、「自由」の旗印の下に教会を破壊し、革命政府に従わない者は大虐殺されました。「主権」を国民が持っているのだから、何をやっても構わないという論理です。そして、歴史から断絶させるために、革命歴が採用されました。1週間は10日、1日は10時間、1時間は100分、1分は100秒とし(1793~1806年)、過去との連続性を絶とうとしました。

ちなみに日本で使われている「メートル」という尺度も、このフランス革命の新尺度の名残りですが(笑)、それはともかく、フランス革命の狂気ロシア革命の狂気と大差はなく、マルクス・レーニン主義のロシア革命に対し、ルソー・ロベスピエール主義と呼んでも差し支えないでしょう。

そのため、西洋では長い間、「デモクラシー」とは、この暗黒のフランス革命を連想させ(あるいは古代ギリシャ)、決して好まれていなかったそうで、アメリカですら建国の際、いかに衆愚政治に陥りかねない「デモクラシー」を抑えるかを念頭に置かれたそうです。


歴史伝統を憎悪し、過去の全てを破壊し、現在とぷっつりと切断された時、理想の未来が到来するのだと信仰し、また理想の未来を作るために過去の破壊が不可欠だと狂信するフランス革命家は、人間と社会とを、過去から切断することを決断し実行した。その結果、法秩序が崩壊し、自由がフランスから消えた」

「現在の政治社会を根底から打倒して、その後に未来の政治社会を新しく建設することを夢想したルソー(略)の理想国家(共同体)は、すべての法(命令)を与える『立法者』と、この法に従順でに従うことのみを強制される人民からなっている」

「この共同体とは『市民』の意思が完全なる全員一致において統一された『一般意思』で成立しているから、この『一般意思』を強制しても、それは『市民』の個々の自らの意思、そのままに実行させていることに他ならず、自らの意思と寸分違わずに行動するのだから、どこに僅かでも自由を侵したというのか、これこそ自由ではないか」

※「正統の哲学 異端の思想(中川八洋著)」より抜粋。


さて、上の「法」や「一般意思」を別の言葉に置き換えると、次のようなものにもなりませんか?

マニフェストは国民と新しい政府との契約書、あるいは命令書と考えてもいい」

「今やマニフェストは約束ではなく、国民がやれと指示した重みのあるもの。できるだけ早く実行することが私への国民の負託だ」
※上から長妻厚労相、川端文科相の発言。


これまでにも、僕を含む多くの人が危惧しているのが、民主党政権の「マニフェストに書かれていることなので実行します」「官僚は政策を考えなくて良い。民主党のマニフェストさえ実行してくれたら良い」というマニフェスト原理主義です。

選挙で勝ったために、民主党は自身のマニフェストが、ルソーの言う「一般意思」であるかのような錯覚を抱いてしまっているのではないかと思ってみたくなります。


「『一般意思』とは、人々が共通に持っている意思ですが、事実上、それは一つの集合体としての『人民の意志』とか『国民の意思』などに置き換えられてゆくでしょう。主権者は、この『人民の意志』とか『国民の意思』を代表すると称するでしょう。(略)

『人民の意志』を名乗った者はすべてが許されます。彼に反対する者は『人民の敵』となるわけで、『人民の敵』という名のもとに反対者はすべて抹殺されてしまう。『一般意思』は全ての人が共有しているはずのものですから、それを持っていない者は、この共同社会の成員とは認められないというわけです。ですから、この代表者に敵対する者は、『一般意思』に対する裏切り者であり、共同社会に対する裏切り者になります。これは独裁政治であり全体主義です。つまり、ルソーの論理を具体的な形で突き詰め現実化すると、まず間違いなく独裁政治、全体主義へと行き着かざるを得ない、根源的民主主義は、それを現実化しようとすると、全体主義へと帰着してしまうということです。

現にそれをやったのがフランス革命でした。(略)ルソーの最大の賛美者であり、徹底した擁護者であったロベスピエールは、まさに、自らが『人民の意志』を代表すると考え、人民の敵、国民の敵といわれる者を全て抹殺していく。いわゆるジャコバン独裁、恐怖政治に陥るわけです」

※「人間は進歩してきたのか(佐伯啓思著)」より抜粋。

民主主義の陥穽は「全体主義」だけではなく、もう一つが「衆愚政治」であると言えます。

昨今、大メディア様や野党時代の民主党&社民党らが絶対視していた「世論調査」による「民意」絶対主義とも言い換えられます。つまり、政治の「せ」の字も知らないかもしれない人たちの意見こそも、政府が従うべき「民意」であり、それこそが「民主主義」だというトンチンカンなものです。

日本は直接民主主義ではなく、間接民主主義であり、そのために代議士(政治家)が選挙で選ばれているんですけどね・・・。

あ、こんなこと言ってしまうと、民主党のマニフェスト原理主義に正当性を与えてしまうことになりかねませんね(苦笑)。


(政治指導者が無知な大衆の要求に屈する時)民の声”は悪魔の声となる」(ウォルター・バジョット)


心に留めておくべき言葉である。

そして、日本の政治家も馬鹿ではない。

以下のように民主主義の恐ろしさを熟知している政治家もいる。


「何事によらず原理主義には気をつけたほうが良い。特に民主『原理』主義には、ジャコバン党の昔からいくつも前科があり、要注意だ。もともtも民主主義は全ての人民が統治の主体であり客体でもあるという実行不能のフィクションに基づく。だから、これを極端に突き詰めていくと、かつての共産主義諸国家のような全人民の名を僭称する独裁政党による支配を生み出すことになる」

「民主『原理』主義を野放しにしておくと、人民の名を僭称する様々な独裁や極端なポピュリズムの惨禍を招く。その抑制力となるのが伝統原理なのである。エドモンド・バークの言う保守主義も、言い換えれば、伝統的なるものに信頼を置き、民主主義の原理的な行き過ぎに歯止めをかけようと言う立場である」


その通りである。

まるで、昨今の日本の政局、そして民主党政権に警鐘を鳴らしているかのようである。

そして、驚いたことに、かつて、これを記したのが・・・。


鳩山由起夫現首相である(笑)。


「文明を壊せ。自然に帰れ」というルソー

数年前、テレビで女子アナに「菅さんは何のために学生運動をしていたのですか?」と訊かれ、「文明をぶっ壊したかった」と堂々と言い放った菅直人現国家戦略担当相。

少し前から、民主党政権とフランス革命&ルソーの関連性を記事にしたかったのですが、酔っ払いながら書き始めたため、まとまりのないものになってしまいましたが、何かを感じ取ってくれたら幸いです。

だいぶ前に読んだ「正統の哲学 異端の思想(中川八洋著)」を手に取って、パラパラと読んで抜粋してみましたが、興味深い箇所を見つけました。

当ブログの、これまでの記事で、僕が僕なりに感じて、「最近の日本共産党や左翼の主張は、ロシア革命よりも、まずはフランス革命を目指しているかのようだ」云々と記したこともあったことですが、実はだいぶ前に読んだこの本の影響を受けていただけかもしれません(笑)。この頃は片っ端から本を読み漁りましたが、酔っ払いながら読んだ本もあるため、記憶が曖昧なのです(笑)。


「社会科学の分野における日本の学界はマルクス主義者が独占的に支配している。このため、フランス革命の研究はあくまでも日本の共産革命の情報宣伝工作の一環として位置づけられてきた。(略)

このような宣伝のためのマルクス/エンゲルスやロシア革命、あるいは社会主義全般の研究が学生等の拒絶反応の惹起によって挫折した際、それに代替するものとしてフランス革命の研究が集中的にされたこと。レーニンの共産革命の研究や授業を代替する、ピンチ・ヒッターの役割である。(略)

『共産主義の終焉』が決定的に国民広くに意識されてレーニンはむろんマルクスについても宣伝することが困難になった。このためフランス革命二百年祭を口実に活用してフランス革命研究に精力を転換したのであった。(略)

ルソーとフランス革命、そしてヘーゲルさえ美化して守れば、『マルクス』も『レーニン』も何度でも生まれてくることを彼らは知っているのである」

※「正統の哲学 異端の思想(中川八洋著)」より抜粋。


さて、今回、たくさん抜粋させて頂いた中川八洋氏(筑波大学名誉教授)ですが、これまで数冊読んで、いろいろと影響を受けました。

まあ、それが魅力の一つとはいえ、かなり極端な物言いで断定するため、全てに賛同するわけにはいきませんが、思想的なことに関してはいろいろ参考になるものがありました。