揉み手 | 菊と斧

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揉み手と聞いて何を思い浮かべますか。

 

庭のこの一画は藪萱草と緋扇水仙が目立っています。

 

広辞苑を見ますと、「詫び事・頼み事などの時、左右の手のひらを相互にすり合わせ、物を揉む時のような手つきをすること」とあります。

一方、大辞林では「頼んだり、あやまったり、こびたりするときの動作」とあります。

 

あまりみっとも良い動作ではない気がします。

 

が、茶道で大切な道具を扱う際に手を清める動作としてこの揉み手をします。

それは象徴的な動作ですからよいのですが、上記のような意味合いを思い浮かべるのでそれを揉み手と呼ぶことに少々抵抗があります。

 

このように象徴的に手を清めることを表す言葉なら他にあるので、そちらを使ってはどうかと思うのです

その言葉というのは「空手水(からちょうず)」です。

山伏が修行中に各所で礼拝をしますが、水のない場所で手を清める動作として揉み手をするそうです。または「柴手水」といって木の葉で手を拭うこともあるそうです。

 

広辞苑では空手水は「水のない時、柄杓で手水をかけるまねをして手を清めたことにすること」とあるのですが、山伏の空手水は揉み手をするとどこかで読んだことがあります。

 

大切な道具を扱う際に先生から「揉み手をして」と言われますが、空手水と言わないまでも「手を清めて」だけで十分という気もします。

 

つらつらと書いてきましたが、茶道についてこの場で勝手なことを言ってもせんかたないことでした。