獺祭 | 菊と斧

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旧暦十二月、師走、季冬

残念ながらニホンカワウソは絶滅ということになってしまった。

それでも諦めずにカワウソを探し続ける人もいるという。探し続ける人がいればいつかカワウソ発見のニュースが飛び込んでくるかもしれない。

 

本当かどうかは知らないが、カワウソは獲物の魚を巣のまわりに並べておく習性があるという。それがまるで神様に魚をお供えしているように見えるとか。そこから、机のまわりに本を散らかし放題にしているような状態を指して獺祭(だっさい)と呼ぶようになった。正岡子規の号のひとつに「獺祭書屋主人」があるが、俳句分類の仕事をするために机の周りには俳書が溢れていたことだろう。

 

獺祭の語の生まれた中国にも獺祭の詩人がいる。晩唐の詩人李商隠だ。彼自身が「獺祭魚庵」と号したという説もあるが、後の宋の時代にそう呼ばれるようになったという説もある。

中国では様々な故事典籍を踏まえて詩を作ることはごく当たり前のことであり、むしろ何も踏まえていないことのほうが珍しいくらいである。そんな中でも李商隠は特に夥しい典故を詩の中にちりばめた難解な詩を書いた詩人として有名であり、「多くの書冊を簡(えら)び閲し、左右に鱗次して獺祭魚と号し」たとされる。やや揶揄する気味もあるし、博覧強記に敬意を表した言い方とも言えなくもない。どちらにしても単に机周りが散らかっているという意味ではない。

 

元の出典は『礼記』王制だそうで、「獺は魚を祭りて然る後に虞人(山沢監督の役人)沢梁に入る」・・・これでは何のことかわからないが、解説によると自然の恵みを大切にする教えを言う、らしい。となると、魚を祭るカワウソをさえ絶滅させた日本には耳の痛い話である。