父親がゴルフのコンペのブービー賞で、ビデオデッキをもらって帰ってきたのは、僕が高校2年の頃だった。
念願のビデオデッキ、中学の頃から欲しい欲しいと思い続けていたビデオデッキ。
歌番組のジュリー映像を繰り返し何度でも見たいという願望や、ベストヒットU.S.Aなどで最新の洋楽情報が見たかった。動く海外ミュージシャンなんて、当時はなかなか見ることができなかったもの。
しかし我が家では数年遅れのビデオデッキ・デビューである。
冬に冷やし中華を食べるような、居心地の悪さがあったものの、
「ついにビデオがきたよ」
ビデオデッキが届いた翌日、僕はTに報告した。
「そうか、やったなぁ!」
Tも喜んでくれた。
日頃からいろいろと録画して、貴重なコレクションを収集しているTのことを、僕はビデオデッキのヘビーユーザーとしてリスペクトしていたし、何より、お目当ては彼のビデオテープだった。
なにしろ僕にはデッキはあるが、肝心のテープがない。まるでフォークとナイフを持って飢えているに等しい状況、ハングリー・ライク・ザ・ウルフである。 話し相手があってこその糸電話のように、何かテープを再生してこそのビデオデッキ、頼みの綱は笑いの琴線が似ている、親友Tしかいなかった。
「何か録画したビデオテープ」をTに所望すると、快く応じてくれた。
しかもそれだけでなく、自分の家のビデオデッキを持って僕の家に来て、AVケーブルをつないで彼のコレクションの数々をダビングしてくれるという。
どうやら彼の中でも、親友同士、同じものを共有したいという気持ちが芽生えていたかもしれない。
やはり持つべきものは友だと親友に感謝し、そこまでして僕に見せてくれようとする映像に期待した。いったい、どんな感動が僕を待ち構えているのか。
次の日曜日、Tは自分の家のビデオデッキを自転車のカゴに入れてやってきた。
そして器用に我が家のデッキと接続すると、
「さあ、何がいい?」と、
何本かのビデオテープを出してきた。
「・・・ん?」
僕は我が目を疑った。