一番古い記憶 | mwto says

一番古い記憶

ここ数日、横目で眺めていた何かのテレビをきっかけに、一番古い記憶は何かを思い返していた。一つの強烈なものより他が浮かんで来ない。たぶん4歳5歳くらいと思う。父親と一緒だったのは覚えている。たぶん母も弟も一緒だったはず。弟は覚えてないと言う。赤ん坊だった頃だからか。多摩動物公園で。

チータはいた。後は虎とライオンと豹のどれか二種。たぶん虎と豹。建物の中に三つ、あまり広くない同じ大きさの檻が並んでいて、私たちは溝を挟んで見ている。食事の時間だったらしく、表の展示から檻に戻されたのだろう。私たちの他にも見ている人がいたから、当時は当たり前の展示だったのだと思う。

程なくして生きたウサギが数匹ずつ入れられた。どれがどうだったかよく覚えてないが、あっという間に捕まえて食べ始めるのや、殺してからしばらくくわえて歩き回ったり、ずっと追いかけてはチョッカイを出すのを繰り返してから食べたり、三種三様の食べ方だった。ウサギの白い皮と赤い血や肉と、骨を噛み砕く音を今でも思い出せる。思いもかけなかった息を飲むような緊張感から、見終わって外に出たところの昼の日差しののどかな空気感と開放感も覚えている。

他に、買ってもらって一週間で無くした補助輪付きの青い自転車(6歳?)とか、初めての発表会でステージに出た時(6歳)の眩しさとか、断片的なシーンは浮かんでくるけれど、最初には出てこないし最古ではない。

これに似た経験はもう一つあって、小学3年か4年くらいではなかったか。いつも遊びに行く団地の真ん中にある小さな公園(遊園地と呼んでいた)に行くと、すぐ向かいの道端に親猫と小さな子猫が数匹いた。まだミーミー鳴きながら這いまわっているくらいの赤ん坊猫。

可愛いと思い、触りたくて迷いなく近寄って行った。あと一歩二歩のところに来たら、いきなり親猫が子猫を次々に丸呑みした。予想外のあまりの出来事にその場にフリーズし、母猫の猛獣感溢れる鋭い一瞥の後に立ち去るのを見送った。動物の保護本能からのそういう習性があるのを知ったのはずっと後のことだ。親にも話さなかったと思う。

この二つが今の自分にどういう影響を与えているか考えることは折に触れてあるが、結局よくわからないまま。ちなみに猫は好きで、アレルギーが出る前には何度か飼ったこともある。