Lumière

松 山 和 子

 

【自己紹介】

 「教員は世間知らずで浮世離れしている。優等生でプライドも高い。安定した職場でそこそこの収入を得ていて、お気楽でいいよな。」

 

 こんな言葉をよく耳にするし、実際そういう教員が多いのも事実です。しかし、私は全く教員らしくない人生を送って来ました。教員歴15年。ただ正確には講師歴が11年で正教員の期間は4年。講師と言っても、常勤講師がほとんどだったので、担任も持つし、仕事の内容は一般の教員と何も変わらない。大きな違いは2点。一つは福利厚生が講師には無いこと。もう一つは、基本1年契約の契約社員であるということ。一番短いものだと、1か月なんていう仕事もありました。次の仕事が決まるのは早くて勤務開始の1か月前。したがって、成績処理に追われ、学年のまとめに入らなければならない年度末のクソ忙しい時期に、毎年精神的に不安定になるのが恒例となっていました。「来年度、私はどうなるのだろう?」と・・・。

 

 講師の採用権限は、市の教育委員会が持っています。最終ジャッジは教育長。教育委員会のメンバーも、数年で入れ替わりがあります。最初の頃は意識していなかったのですが、私は次の仕事を確実にゲットする為、顔と名前を市内中に売り込むための努力を懸命に行いました。

 

 市内の教員が集まる会合には、積極的に参加。そこでも自分から多くの教員に声をかけ、自分を印象付けるようにしました。教育委員会のメンバーや教育長が参加する飲み会があると聞けば、必ず出席し、最後の最後まで残りコンパニオン役に徹しました。

 また、教育委員会から依頼が来た仕事に関しては、自分にとってどんな不利な内容でも、難しいと感じた仕事でも、全て受けました。中でも、大変で一般の教員も避けたがる「研究発表校」の依頼を受け続けたことで、私は毎年研究発表校から指名されるようになったのです。

 

 研究発表校とは、一つのテーマに沿って3年間、指導法の研究・実践を繰り返し、最後の年に市内の教員を招いてその成果を発表する学校のことです。普段の授業やその他の仕事で忙しいのに、更に倍以上の忙しさになるのが当たり前になっていて、夏休みなどの長期休業中も、発表用の指導案作成や配布用冊子の原稿を書くのに追われる日々が続くのです。これが、市内で順番に回ってきます。誰だってやりたくないし嫌に決まっています。しかし、私は15年中11年程、研究発表校に在籍しました。「次の仕事、研究発表校なんだけど、いいか?」教育委員会からの電話に、私は毎回即答で答えました。「ありがとうございます。大丈夫です。よろしくお願い致します。」と。

 

 他にも、「次の仕事、音楽主任を任せたいんだけど、できるか?」という依頼が来たこともありました。音楽主任は、担任を持ちながら、卒業式では全体の歌唱指導に加え、卒業式用の難しい曲を何曲も演奏しなければなりません。ただの演奏ではなく、伴奏なので、ピアノを失敗して止まってしまえば子ども達の歌も止まります。それくらいの大役です。私は、講師という立場上、音楽を担当することが多かったものの、ピアノは簡易伴奏がやっと弾けるレベル。授業ではCDのお世話になっていたくらいです。こんな私が卒業式の伴奏なんてできるはずがありません。しかしここでも私は「ありがとうございます。頑張ります。よろしくお願いします。」と答えたのです。なぜなら、その時は教員採用試験の受験に専念する為、一旦学校での仕事を離れており、試験に不合格になった私は中古車販売店でアルバイト生活を送る日々を過ごしていたからです。ここで依頼を断ったら、いつ講師に戻れるかわからない。だから、私には断るという選択肢がありませんでした。

 

 依頼を受けた直後、ピアノ教室で教えている友人に事情を話し、「基礎とかはいいから、とにかく卒業式までに全曲弾けるようにして欲しい!」と頼み込みました。友人は少し呆れた顔をしていましたが、レッスンを開始してくれることになりました。担任をもち、研究発表校で、音楽主任までついてくる。ピアノのレッスンは当然自腹。毎週決められた目標値まで達成できていないと、卒業式に間に合わない。今振り返ってみても、あんなに全力投球した1年はなかったと思います。しかし、全力で取り組んだ結果、私は全ての任務を遂行することができました。卒業式後には、PTA会長から「素晴らしい伴奏だった!」とお褒めの言葉をいただけた程、私は成長したのです。

 

 こうやって、どんな依頼も断らず、そして毎年自分の100%の力を出し切って仕事に取り組むことで、講師枠が少なかった時代に、私は11年間も講師を続けることができました。100%の努力ができたのは、確かに自分が好きな仕事だったからということもあるのですが、他の先生達と同じレベルで頑張っていたのでは、講師の仕事なんて貰えないと私は認識していたからなのです。

 

 一度受かってしまえば、定年まで安定した職に就ける教員と、毎年ハングリーに仕事をこなさいと仕事が貰えない講師の私では、当然考えることも生き方も違っていました。

 

 プライドなんて持っていたら、私はとっくに潰れていたと思います。講師の仕事は不安定であるが故に、合間にはいろいろなところでアルバイトもしたし、毎年のように違う学校に転勤し、それぞれの学校の体制に合わせるのも大変でした。

 しかし、このような経験は、私をとても強くしてくれました。そして、自分をアピールする為の方法や短期間で周りの人達に可愛がって貰うためのスキルも身に付けられました。周りからは信頼され、学校全体を仕切るような大きな仕事もたくさん任されるようになりました。

 これらの力は、その後の障害児支援施設での営業や、起業してからのビジネスパートナー探しにも大いに役立つこととなりました。

 

 私は、全ての人に愛されたいとも愛されようとも思ってはいませんが、自分が好きな人達からは愛されたいし、応援や協力をしてもらえる自分でありたいと思っています。その関係を築いていく上で、私が教員時代に身に付けて来たスキルは、実は私だけでなく、他の多くの人達にも役立つものなのです。

 競争社会で生き抜いていく為には、一人だけでは頑張れません。必ず仲間が必要ですし、そのチームが良好な関係を築けなければ、目標達成も困難となってしまいます。またこのチームを率いるリーダーの役割は大きく、リーダーによって組織力は大きく左右されます。

 

 私は学生時代から、リーダーとして大きな組織を束ねて来ました。教員時代にそのスキルは磨かれ、5~600人程度なら余裕で動かせる自信があります。リーダーは時に孤独でもあるのですが、自分の思考・言葉・行動一つで大きな成果に貢献できる達成感は、リーダーをやった者にしか味わえない特権であると感じています。ましてや仲間たちに愛され、共に同じ方向を目指して努力した先に手にした成果は、言葉にはできないほどの感動を味わわせてくれるのです。

 愛されるリーダーになるのは、決して簡単なことではありません。しかし、自分の目標達成の為には、必要不可欠な努力だと私は思っています。面倒だとか大変そうだなどと言っていては、目標達成の時期が先送りになるばかりです。

 少しでも興味を抱いた今が、スタートを切るための絶好の機会だと思います。

 

『リーダーシップの課題は

 

強くありながらも失礼にならないこと

親切でありながらも弱くならないこと

大胆でありながらも威張り散らさないこと

思慮深くありながらも怠けないこと

謙虚でありながらも臆病にならないこと

誇りを持ちながらも傲慢にならないこと

ユーモアを持ちながらも愚かにならないこと

 

ジム・ローン(起業家)』

・インスタ https://www.instagram.com/kazunee1009/