タロットへの質問の工夫 | タロットの煌めき マルセイユタロット活用術

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伝統的なマルセイユタロットを使っての、自分と人のために活かせる知識と方法をお伝えしています。

タロットリーディングやタロット占いには、質問、問いが基本的には必要です。

 

基本的にはと言ったのは、以前も書いたように、質問がなくてもリーディングは可能な場合があるからです。

 

むしろ私は、そちら(質問なしのリーディング)のほうが、ことマルセイユロタロットにおいては本質的(本来的)リーディングではないかと思っているくらいです。

 

質問というものは、心の中で問いかけるにしても、結局、人の言葉、言語形式であるのが普通です。

 

ところが、タロットは言葉としての言語(で把握するもの)ではありません。画像、視覚中心の象徴であり、言葉ではないコミュニケーションが必要になります。

 

それは感性や直観とも言えますし、もっと高度な霊的な送受信、あるいは言語化されない思考のようなものです。

 

人がする質問は、先述したように、言葉中心ですから、どうしても言語的な思考でタロットからの回答を得ようとします。

 

それでもよいのですが、この場合、決まりきった型から脱却することができず、いつも同じような読みになったり、常識的な答えになったりします。逆に言えば、理屈でわかるというようなものになり、人として理解はしやすいです。

 

加えて、リーディング・占いも、他人に行っている場合、その人に結果を伝えるという作業がありますから、つまりは説明がいり、当たり前ですが、理解しやすい言語コミュニションが最適なわけで(たとえ文章にするにしても言語を使用するでしょう)、最初の質問の時に戻れば、質問自体がわかりやすい言葉でしたほうが、タロットからの回答も、言語的なものとして受けやすく、それを人に説明するのにも、楽(わかりやすい)ということになります。

 

だから、普通は、(言葉での)質問をしてタロットリーディングを行ったほうがよいわけです。

 

ただ、タロットを人の言葉から超越させると、思わぬ気づきや回答が霊的指針・啓示のように入って来ることがあり、それは人の言葉を使ってコミュニケーションしたものとは異質なプロセスと結果を生みます。

 

このことをマルセイユタロット自体が、「審判」というカードで象徴しています。

 

一方、現実的・人間的な意味では、やはり質問は設定したほうがわかりやすいのは、先述した通りです。

 

ただ、この質問の仕方によって、タロットからの導き方、答えも異なってくることは知っておくとよいでしょう。

 

同じカードであっても、問いのレベルとか範囲によって、本当に答えも変わってくるのです。

 

逆を言えば、タロットはどのような質問のレベルにも、答えることができるということです。いや、答えるというより、質問のレベルに合わせた回答とか気づきをもたらすことができると言ったほうがよいでしょう。

 

ただし、その質問のレベルや、求める回答によっては、タロットの引き方(出し方)を変えたほうがよいケースもあります。言い換えれば、適切なスプレッド(並べ方・引き方)の選択です。

 

タロットへの質問は、具体的であるほうが答えも具体的になりやすいですし、その反対も言えます。(抽象的であれば、答えも抽象的になりやすい)

 

例えば占いであっても、「私の運勢はどうか?」と問うよりも、「金運はどうか?」「恋愛運はどうか?」と細分化したほうが占いやすいですし、恋愛運でも、「いつチャンスの時期が来るのか?」とか、「どんな人が、どんな場所で?」など、さらに具体的にしたほうが、恋(する相手)と巡り合う可能性は高くなるでしょう。(これも本当は巡り合うのではなく、そのような(出会う)世界を自分が作るための材料とするといったほうが適切だと私は考えていますが)

 

また、「なになにはどうなのか?」「どうなっていくのか?」と聞くよりも、「なになにを解決するには、どうすればよいか?」「目標を達成するには何が必要か?」と聞いた方が、能動的で、自分が何を(具体的に)すべきかもわかりやすいです。

 

前者のような質問ばかりしていると、ただ運任せ、受動的、自分で事態を動かすことができなくなります。つまりは成長がない、力(タロット的には創造的な力の源であるフォース)もつかない(発現しない、回復しない)ということになります。

 

もちろん、人ですから、いつも積極的、前向きになれるわけではなく、「どうなってしまうのか?」「あの人はどう思っているのか?」というようなことを知りたくなる時があるのも人情です。

 

それはそれで、その質問をしてもよいと思います。ただそれで心が落ち着けばよいですが、やぶへびになって、やらないほうがよかったということもあり得ます。

 

それならば、「どうなる?」とか、「どういう気持ち?」いうことを聞かずに、最初から「どうすれば自分がよい状態になれるのか」の策・方法を質問したほうが、結局はよいかもしれません。

 

これと似ていても、大きく異なるのが「この(今)起こって(起きて)いる意味は何だろう?」「このことは、何を私に知らせているのか?」と質問するのは、ある意味、霊的な領域に関わるものなので、一見、受動的な質問ですが、自分の視点を変えるには効果的です。

 

けれども、その回答を得るには、タロットへの象徴的理解がある程度進んでいて、抽象的でありながら、自分の人生とリンクする題材とストーリーの流れを把握する必要があり、これは特殊なマルセイユタロットの教義にふれていないと難しいでしょう。

 

言い換えれば、高度な意味で整理された大枠・モデルがある象徴体系・メソッドのあるタロットが必要というわけです。それができるのが、一部のマルセイユタロットだということです。端的に言えば、霊的目線が持てるシステムがあるかどうかです。

 

私の指導するマルセイユタロットリーダーには、クライアントの方の質問そのものにとらわれることなく、本質的な回答をもたらせるように訓練します。

 

クライアントの質問する言葉通りや、求めるそのものに回答することがよいとは限らないのです。さらには、具体的に質問をしたほうがよい場合もあれば、あえて抽象的なレベルのままでリーディングに入っていい場合もあり、それは人それぞれ、ケースバイケースです。

 

そして、クライアントがどんなとを質問するのかによって、その人の背景、関心、中心的にフォーカスする(している)レベルもわかり、そして出たタロットによって、主な周波数的要素(レベル)も比較的明らかになります。

 

ただし、周波数レベルの高低に優劣はなく、その人が必要としているから、また成長の糧のために、そのレベルにいる(そういう問題にフォーカスさせられる)ということが言えます。

 

地上的部分を強化したほうがいい人もいれば、霊的目線による人生の俯瞰を入れたほうが救いになる場合もあります。そういう区別ができるのも、ひとえに高度に整った象徴体系のあるマルセイユタロットだからできることなのです。

 

ですが、マルセイユタロット以外でも、質問によって答えが変わること、また、質問している内容を意識(注意)したり、質問のレベルや範疇を変えたりすれば、別の回答、あるいはこれまでとは違ったアイデア、道も見えてくるということは、覚えていてほしいものです。