これはもう、私がうつ病と神経症を併発して、ギリギリに追い込まれていた時の話になります。
当時の私はすでに限界に来ていました。
これはうつ病になる人でも少ないケースだと思いますが、私の場合、ものすごいイライラ感に襲われて、気が狂うほどの状態に毎日なっていました。
このイライラ感はそれはそれはすさまじいもので、一分たりともじっとしていられない、強烈な焦燥感がありました。
とにかく待つことができないのです。(今なら、うつから来る脳内ホルモンの異常だったのではないかと推測できますが)
神経内科での待合室にいる時などは、まさに地獄でした。長く診察のかかっている受診者には、殺意さえ覚えました。
それはたとえていえば、この試験や仕事を逃すと一生がダメになるという時に、不運にも渋滞に巻き込まれ、刻一刻とその時間が迫っているけれどもどうしようもできない焦り・・・のような気持ちが永遠に続くというような感覚といえましょうか。
もしこの苦しみから逃れることができるのなら、どんなことでもする、たとえ人を傷つけてでも!とさえ思うくらいのものでした。
そんな私の一瞬の安らぎは、ただ寝ている時だけです。しかしまた起きればずっと地獄が続くのでした。
(うつもあって、なかなか眠れないのもさらに苦しみを増しました)
いつも夢を見ました。
「目が覚めると、あの苦しみは夢だった」という夢を。
夢の中の私は「本当に恐ろしい夢を見た、でも夢でよかった」と心から安堵していたのでした。しかし毎朝、それはむなしくも現実だと知り、絶望の一日が再び始まるのでした。
こんなことが続くので、もはや死ぬしかないといつも考えていました。あとはどう死ぬかだけです。
その日、私は仕事も早退し(行ってもほとんど休憩室で休んだり、うろうろするしかありませんでした。出勤しながら欠勤とされた状態です)、夕暮れの住宅地をあてもなくさまよっていました。
「もう生きていく力はないな、どこかで首でも吊ろう」と真剣に思っていました。イライラは相変わらず、ずっと続いています。
そんな時、ふと目の前に「治療院と」いう文字と案内があるのに気付きました。「やく治療院」さんという名前です。
「やく」か・・約・・・アバウトな治療院かなぁ・・・苦しすぎて、奇妙な連想が頭の中を巡り、私はその治療院に自然と足を向けていました。
実はこの頃私は、民間の治療院と名のつくところ、気休めに過ぎないとわかっていても、イライラの治療にならないかと所構わず、訪れていたのです。何かをしないとイライラで死にそうだったからです。
そしてやく治療院に着きました。私は応対された先生に、イライラで気分が悪いこと、なんでもいいので治療してほしいことを訴えました。
先生は私のせっぱ詰まった気持ちを察したのか、とにかく穏やかな口調で「治るかどうかはわからないけれど、苦しみはなんとかしてあげたいです」と、体を温めてくれたり、体をさすってくれたり、いろいろとやっていただきました。
特別な治療方法でもありませんでしたし、今までのこともありますから、おそらくこれでイライラが収まるとは思えませんでしたが、先生の口調やトーンが慈愛に満ちていらっしゃったのは心で理解できました。
その時の話の内容は記憶していません。でも、この時、一瞬でも心が和んだのは確かです。イライラの症状はあったとしても。
結局、治療後でも症状が消えることはなかったのですが、不思議と気分はましになっていました。何か救われた感じがしたのです。
「まだ生きていてもいいのかもしれない」「もしかしたら治るかもしれない」
なぜかそんな気持ちになり、私は治療院をあとにしました。
その後、あの阪神大震災が起こり、私の症状もまた変化を迎えることになったのですが(この話はまたいずれ書きます)、とにかくこの時、タロットでいえば「節制」の救済の天使が、やく治療院さんという形と人物を通して降りてきたのは間違いなかったと思います。
地獄に仏と言いますが、苦しくてもどこかに救いの道や人物は存在するものです。
あともう少し、あと一日、あと一週間、あと一ヶ月・・・と続けていけばどこかで救済が必ずあると私は信じています。
この世の中はどんなに苦しくても、決して地獄だけではなく、救いとセットになっていると私は感じているのです。