自然界の道理 人間の道理 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

糖は生き物にとってエネルギーの源であり、植物も糖が必要だから自ら糖を生みだす。

「必要なものを無から生み出す」、無と言うより周囲にある水と炭酸ガスからだ。

人間の科学から見れば魔法使いのようなものだろう。

どこにそのような知能と設備が隠されているのか、人間にはさっぱりわからない。

わからないから同じものを作ることも出来ない。

だから野人は人の科学は植物の足元にも及ばないと言ったのだ。

マイクロチップなど科学の結晶は工学分野から見れば優れものでも、生命分野では道端の葉っぱ一枚にも及ばない。

野人の知識ベースは科学でも、植物に人間の科学は直接持ち込まないし持ち込めない。

それを前提に実験を始めたから既存の農業書はすべて役には立たなかった。

自然農法が好きだから始めたわけではなく、農業を業として成り立たせる為であり自然物理学を持ち込んだ。

順に道理を追えば、今の農業は肥料だけでなく生き物の土壌を耕し続けることからして自然界の理に反していると言う答えが出た。

つまり最初から大地と生き物の循環に関与しない「製造」「養殖」の技術だ。

経費と労力がかかるのは当たり前で、それを前提に技術は進歩、それに伴う産業も発展、人間の仕組みが出来上がった。

それらの負担はすべて生産者に集中、結果、業として成り立たず、産物の影響は消費者が受けることになってしまった。


野菜は自然の産物と言うが、それは自然界の道理なのか人間の言葉と道理なのか、常識は横に置いて循環の仕組みを一から考えて見れば答えは明らかだ。

人間に関わる野菜、家畜、ペットなどは人間次第、意のまま、人間の道理、都合を通せば彼らは従うしか道はない。

人が簡単に病気になるのと同様に彼らも同じ運命をたどる。

他の加工食品同様に食品としてはともかく、本来の食べ物としての本質を持たなければそうなるのは当然だろう。

人だけでなく、生き物は例外なく完全な植物なしでは生きられない。


自然界がそうであるように植物は本来余計なものはいらない。

人間の知恵と最先端技術をもってしても農業は衰退、過疎化が進み農地は荒廃した。

野人は不要なものはすべてそぎ落とし、一から農業をやり直そうとしている。

農業の常識とは正反対だが、それをベースとして必要なら後で追加すれば良い。

必要を基準とするか不要を基準とするかは入浴剤などにも同じことが言える。

引き算が出来ないのは基準が違うからで、足し算を繰り返した結果が現状。

基本の常識が変われば引き算も足し算も容易い。