言葉と仕組み7 波及への道 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

この森羅万象の理の導き方を新世代の子供達に伝えたいと思っている。

答えや結果だけで納得、覚え記憶するのではなく、理を解いて自ら答えを導き、判断出来なければこれまでと同じで応用も効かない。

将来の危機も乗り越えることは出来ないだろう。

覚え詰め込むだけならパソコンに適うはずもない。


いきなり学校の教科書になるはずもないから地道に進めるつもりだ。

子供でもわかるこの簡単な思考パターンのカリキュラムは原人が作り上げる。

その基盤とする為にもこの記事を書きあげた。

最初は原人塾でも協生塾でも良いだろう、協生理論を教えることに変わりない。

学びの場は室内よりも海山の野外の方が多くなるはずだ。

既に学校の理科でやっている「観察」ではなく、地球物理学の思考回路を磨く。

自然体験が目的ではなく、体験は目的の為の手段に過ぎない。

それを踏まえて遊びながら知識と知恵を磨けば子供は夢中になるだろう。

既存の本から学び教えることは微々たるもので、簡単な基本知識程度しかない。

カリキュラム卒業試験もまた、口頭理論と実技で面白いものになる。

これは協生農法士育成も同じで、ハードな狭き門になるだろう。

講師が東大の農獣医、理工学と、博士号2つ持つ男なら不足もないはず。

原人も遊んでばかりでロクに勉強などはしていないが結果は出ている。

野人も海山の遊びが忙し過ぎて勉強や塾どころではなく、分厚い英語の辞書はガムテープで封印、ノートも持たず、学校から帰ってまで勉強残業する気は皆無、予習復習など死語だったが、原人ほど立派かどうかは別にして社会人になっている。

先生や友人から非常識、落ちこぼれと言われようが、仕組みが理解出来て自ら判断出来れば教科書の言葉など覚える必要もなく、必要なら調べれば良いと言う考え方が染み付いていたからだ。

そもそも教科書や辞書や図鑑などは覚えるものではなく必要な時に使うものだ。

自然の中で遊んでばかりいてもこの方法で数学理科が手に取るようにわかり、成績があがれば子供も親も喜び波及するはず、結果は既にわかっている。

自然界に勝る学び舎はなく、野人原人の実践から生まれた新たな学問とも言えるだろう。


教えたいのは思考回路だけではなく心だ。

食べて生きる為には魚介類など必要な殺生もしなければならない。

植物にも命があり心がある。

慈悲の心を持ち、理と心、バランスのとれた人間に育ってもらいたい。

それが野人の希望だ。


続く・・



学問のスズメ 人間とは

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学問のスズメ 何故

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学問のすずめ~ 進化と退化

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