日本到着後すでに2週間が過ぎましたがしなければいけない事の半分も出来ていません。

出来たのは年金事務所に生存確認書を送ったくらいですが同時に気になる質問書も送りましたが回答が得られるのかは分かりませんがその事についてはまた書きたいと思います。

今日は女房から持たされた友達、親戚宛のお土産を近場の人には渡しましたが少し離れている親戚の家にはまだ持って行っていなかったことが少し心配になっていました。

距離的にはほんの30キロなので近いのですが田圃の中にある村なので農地整理などが行われて昔とは道路の位置が変わったのと新しい民家、店、工場が出来ていて小学生の頃ほぼ毎夏過ごした母親の実家ですがそこまで辿り着ける自信がありませんので中々重い腰を上げることが出来ませんでしたがそれを見かねた兄が用事も兼ねてそちらに向かうと言うことで便乗しました。

大体毎年帰郷したときは尋ねてはいましたが自分で運転したことは少なく最後に尋ねたのは8年ほど前なのでもうあまり覚えていませんが今日は兄が運転手兼ガイドなので今までのこの辺りの変革を尋ねながらのドライブを楽しむことができました。

しかしそれらの村の変化は感じられますが発展はありません。

店なども新しいものが出来ますが直ぐに潰れてしまいその後にまた別の店が出来たりして、それらの試行錯誤の努力の跡は見えますが田舎での生活の将来性は見えず若い世代は村に定着することはなく都会を目指します。

私もコロナ前に観光産業に携わっていたときスペインの日本の旅行社が小さい子供を持つている母親事務職の人達が全てネットで仕事ができるにも関わらず何故オフイスに出勤しなければいけないのかが理解できませんでした。

コロナが蔓延しこれは在宅で仕事ができる千載一遇のチャンスで、大きく世界の労働システムが変化するのでは無いかと思われましたがどうも期待はずれでした。

それをしない理由は日本人労働者は自宅でも真面目に仕事をすると思われるけれども現地人労働者はサボるのではないかと言う心配から実施に踏み切れなかったそうですがよく考えればそれは管理職の能力不足だと思われます。

さてその後強制的に自宅待機になりましたが観光客も動けない状態では仕事自体が自然消滅しましたが私もその少し前に退職したのでその後の旅行社のビジネスシステムも分からずじまいです。

しかし考えて見れば世の中には在宅でできる仕事がたくさん存在し、仕事を効率化すればその分賃金を上げることも出来るのではと思われますがどうもそれらがうまく機能しないようでコロナ後また元のようにオフイス至上主義に戻りました。

その為田舎育ちの若者は昔と同じように都会を目指し田舎は老齢化が進み近い将来に於ける村の存在は風前の灯です。

ただ自分自身も高齢化してその先のことを心配しても仕方がないと思い始めています。

そんな事を考えながら帰り道に酒がなかった事を思い出し、酒の他にも兄の飼っている沢山の猫用の餌を売っている店に入り無事家に帰り、また一つ義務を果たし精神的に楽になりこれを書きながら酒を飲んでいます。

酒を飲むと人生がケセラセラになります。