▼自分と違う意見を持つ人。その人と友だちになれない、なんてことはないって思っています。もちろん、全てが相反しているのであれば「合わないな」と思うことはあります。

▼ある一つの事象に対して、意見が相容れないからと言って、相手が間違っているとか、敵である、とかは思いません。

▼ひょっとしたら、ぼくの方が考え違いをしていたのかもしれませんし、ぼくと違う意見というのは、ぼくの見識を広げます。

▼議論を戦わせる、というのは、相手を打ち負かす事ではない、とぼくは考えています。これはモノづくりにおいても同じです。そりゃあ、一つのものを作るわけですから、同じ方向性へ行くように「結論」を出すことはとても重要な事です。だからといって、もう一方の意見が間違っている、二度と使えないまたは使わない、ということは思いません。

▼自分と違う意見が『悪』であってはならない、とぼくは強く思います。

▼皆が皆、同じ意見、同じ感性を持っていたら気持ちが悪いと思いませんか?自分と違う意見があったとしたら・・・一体何処が違うのか、違う事でどういうことが起こるのか、それを考えていくのが大切だと考えています。

▼自分と違う意見が『悪』であったとするならば・・・自分の意見は『善』ということになります。果たしてそうなのでしょうか…神様でも無い限り、必ず『善』などということはあり得ないのではないでしょうか。

▼そして…自分の意見が通らかなったからといって、自分が『負け』ではありません。議論や話し合いは『勝ち負け』ではありません。そこから、自分たちが進むべき道を見つけ出すことが議論だと考えています。

▼その上で考えますと…議論は人をアツくします。時には相手を言い負かせてやろうとか、自分の正当性を認めさせようと思ってしまうことがあります。だからといって、目的が変わったり、見失ったりしては議論を行う価値がなくなってしまいます。

▼相手を従わせること、打ち負かす事が目的になったとしたら・・・ぼくはこれを議論とは思いません。