尾崎豊は、1984年8月4日にライブイベント「アトミックカフェ」で照明器具から飛び降りて左足を骨折し活動停止することで、まずは「伝説」となった。
 そして、1986年1月に無期限活動停止を宣言し、ニューヨークへ旅立つ。その後帰国して事務所を移籍し、有明コロシアムでのライブなどがあったが、以前ほどの輝きはなかったとの評価も多い。
 1987年12月22日には覚せい剤取締法違反で逮捕され、さらに活動停止することで「伝説」となった。釈放後、夜のヒットスタジオで『太陽の破片』を披露したり、東京ドームで『LIVE CORE』を行なうが、これも持続した輝きとは言い難かった。
 長男が生まれたあと、古巣のCBSソニーへと戻り、再びプロデューサーの須藤晃と組み、アルバム『誕生(BIRTH)』を発表することで、完全復活(REBIRTH)したと、自分は解釈する。
 
 この完全復活時の1990年前後がちょうど、イカ天・ホコ天の「バンドブーム」と重なる。尾崎豊は、この時期に「ギターブックGB」等のインタビューで、自分の復活時の状況を「ロックブーム」と表現し、「髪を立てたり、染めたり、そんなのがロックじゃないんだ。自分はソコを表現して、伝える。」と再三再四訴えていた。

 確かに、尾崎自身は髪の毛を脱色したり、染色したり、ヘアスプレーで逆立てたりせず、浅薄でない歌詞と、その奥にある思想を伝えようとしていた。しかし、自分はあの1990年前後は、「バンドブーム」であったことは認めるが、「ロックブーム」ではなかったと考えている。
 あの当時流行していた、アーティストやグループを思い出してみよう…
 
 
 「米米クラブ」「たま」「ジッタリンジン」「男闘呼組」「チェッカーズ」「永井真理子」「谷村有美」「森高千里」「遊佐未森」「森川美穂」「LINDBERG」「ゴーバンズ」「ZARD」「Wink」「チャゲ&飛鳥」「アルフィー」「KAN」「槇原敬之」「GAO」「PSY・S」「TMN」「ACCESS」「TRF」「ZOO」「DREAMS COME TRUE」「FairChild」「辛島美登里」「沢田知可子」「平松愛理」「大事MANブラザーズバンド」「モダンチョキチョキズ」「B.B.クィーンズ」「Mi-Ke」「岡村靖幸」「徳永英明」「稲垣潤一」「小田和正」etc
 
 
 バラエティーに富んではいるが、純粋な意味での「ロック」を追求していたとは言い難い方々も多かったように思う。

 尾崎豊自身は、「ロック」よりも「ロックンロール」を掲げることの方が多かったように記憶するが、思想的にはともかく、音楽的な「ロックンロール」の一般的な定義とはズレがあったようにも思う。何度か指摘しているが、『街の風景』や『ダンスホール』は、むしろ(日本の)フォークソングの要素が強い。また、彼の死後、代表曲のように扱われるようになった『I LOVE YOU』や、ファンが必ず挙げる『シェリー』、隠れた名曲『Foget me Not』なども、むしろ(日本で言う)バラードに近い。「ロックンロール」を標榜しながらも、むしろ激しいビートを刻まないスローテンポの曲で評価されている点も興味深い。
 
 
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