かつて、「BLUE ~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI」と言う尾崎豊のトリビュート・アルバムが発売されたことがある。

http:// www.ama zon.co. jp/BLUE -TRIBUT E-YUTAK A-OZAKI -CCCD/d p/B0001 FAB08

尾崎豊と吉川晃司と岡村靖幸の3人は、遊び仲間だったようで、岡村靖幸は、このアルバムで「太陽の破片」を披露している。また、尾崎豊と同じく須藤晃がプロデューサーを務めた橘いずみ(現在は、榊いずみ )は、その歌詞と方向性から、当時「女・尾崎豊」と呼ばれたこともある。「十字架とコイン」と言うタイトルは、尾崎豊の「紙切れとバイブル」の影響かもしれない。彼女は「路上のルール」を披露しているが、この曲は極上のデキだと思っている。さらに、自分は好みではない槇原敬之が、「Forget-me-not」を披露しているが、尾崎、岡村、槇原が同じ罪を犯している点において、非常に意味深な作りのアルバムになってしまったと言える。

さらに、かつて尾崎豊との交際があったことを明かした中村あゆみが、アルバム「VOICE」で「シェリー」、「VOICEII」で「Forget-me-not」および「僕が僕であるために」を披露している。尾崎と同じく1980年代を駆け抜けた女性シンガーが、これらの曲を発表することには、感慨深いものがある。

http:// www.ama zon.co. jp/VOIC E-%E4%B 8%AD%E6 %9D%91% E3%81%8 2%E3%82 %86%E3% 81%BF/d p/B001A 4NWSC/r ef=sr_1 _1?s=mu sic&ie= UTF8&qi d=13321 69781&s r=1-1

http:// www.ama zon.co. jp/VOIC EII-%E4 %B8%AD% E6%9D%9 1%E3%81 %82%E3% 82%86%E 3%81%BF /dp/B00 276HO72 /ref=sr _1_2?s= music&i e=UTF8& qid=133 2169781 &sr=1-2

そして、もしもう一度、「尾崎豊」のトリビュート・アルバムが許されるのなら、以下のメンバーで歌っていただけたらなぁ、と夢想する。

①吉川晃司
前述の通り、尾崎豊と吉川晃司は遊び仲間だった。尾崎のデビューが1983年、吉川のデビューが1984年、尾崎が1965年11月29日生まれで、吉川が1965年8月18日生まれ、大人になってからの尾崎の身長が178センチくらい、吉川の身長が182センチである。尾崎の葬儀で弔辞を読んだのが吉川晃司。
私的には、「LOVE WAY」「Scrambling Rock’n’Roll」「Driving All Night」が聞いてみたい。

②吉岡秀隆
尾崎豊が弟分として可愛がっていた俳優。尾崎豊には「幻の少年」と言う未完の小説があり、もしこれを映画化するときは、吉岡秀隆を主人公にする構想があったと言う。尾崎豊の葬儀では、彼宛ての「手紙」を読んでおり、現在「日本人の手紙 (第9巻) 」と言う古書で、その内容を確認できるようである。そして、吉岡秀隆は、尾崎の死後、数枚のCDアルバムとCDシングルを発表するが、「ラストソング」「どうしようもないこと」等の曲は、歌唱力はともかく、尾崎に対する喪失感を見事に歌いあげている(と解釈できる)。
私的には、「17歳の地図」「愛の消えた街」「存在」が聞いてみたい。

③渡辺美里
かつて、1980年代のメッセージソングを代表する男性シンガーが、尾崎豊だったなら、1980年代のメッセージソングを代表する女性シンガーは渡辺美里だった。尾崎はOZAKIの表記で親しまれ、美里はMISATOの表記で親しまれた。尾崎豊は大阪球場に2万6000人を動員し、渡辺美里は西武球場を毎年いっぱいにした。1987年の広島平和祈念コンサートにおいて、美里のステージに尾崎が乱入した伝説は有名。終始スキャンダラスな一生だった尾崎に対し、美里はきわめて健全なアーティスト生活を積み重ねている。
私的には、「I LOVE YOU」「FREEZE MOON」「僕が僕であるために」が聞いてみたい。

④鈴木彩子(SAICO)
アーティストには、健全型と破滅型があるような気がする。尾崎豊と鈴木彩子は、後者の匂いをプンプンさせながら危ない賭けを続けたタイプに思う。また、初期に歌った歌詞や、ファンとの約束が重荷になり、年齢を重ねた自分の中での折り合いが難しくなってくるタイプでもあったと思う。それは、歌う内容とアーティスト本人の私生活を、ファンが重ね合わせて見過ぎた結果でもある。「19歳の鼓動」等のアルバムのネーミングは、明らかに尾崎豊を意識している。
私的には、「15の夜」「シェリー」「存在」が聞いてみたい。

⑤篠原美也子
知らない方も多いかもしれないが、1990年代半ばに、「オールナイトニッポンの水曜2部」でパーソナリティーを務めていたほどの女性シンガーである。彼女は、かつてのインタビューで、尾崎豊やSIONらの影響を受けたこと公言しているが、「共同幻想のようなものは嫌い」とも述べており、尾崎豊的ライブ・パフォーマンスの一部は否定している。
私的には、「僕が僕であるために」「I LOVE YOU」「路上のルール」が聞いてみたい。

⑥原田龍二
「水戸黄門」の助さん役で有名な彼だが、1993年、1994年に二枚の尾崎豊テイストのアルバムを発売している。2003年4月26日、NHK-BSの尾崎豊特番では、尾崎豊的ルックスで視聴者のメッセージを朗読し、白井貴子からは「尾崎クン、そっくり!!」と驚かれた。かなり、尾崎豊をリスペクトしていると思われる。
私的には、「COOKIE」「ドーナツ・ショップ」「Scrambling Rock’n’Roll」が聞いてみたい。

⑦中島みゆき
尾崎豊とは違った意味で、「孤独」等の人間の負の側面を表現しきったアーティストだと思う。尾崎豊は、酸いも甘いも知り尽くす前に生き急いでしまった感があるので、「年を取るって素敵なことです」と歌ったことのある中島みゆきが、現在の年齢で尾崎豊の歌を歌うとどうなるのか、知りたくて仕方がない。
私的には、「米軍キャンプ」「LOVE WAY」「ダンス・ホール」が聞いてみたい。  

⑧柳生伸也
詳しくは書かない。
私的には、「ドーナツ・ショップ」「ダンス・ホール」「OH MY LITTLE GIRL」が聞いてみたい。

⑨氷室京介
前述の通り、尾崎豊と吉川晃司には交流があり、布袋寅泰と吉川晃司はCOMPLEXと言う音楽ユニットを組んだ。かつて、テレビ番組内で氷室京介と吉川晃司は、ビートルズの「HELP!」をカバーしたようである。しかも尾崎豊と氷室京介は、お互い超有名になる前に、新宿ロフトで繋がりがあった模様。どうやら、氷室京介と尾崎豊の交流は、ゼロではなかったようだ。氷室京介は、山田かまちとも友人だったし、早熟の天才とのコンタクトが多い。
私的には、「Driving All Night」「FREEZE MOON」「LOVE WAY」が聞いてみたい。

※参考 リンク先中段あたり。たぶん『月刊カドカワ 総力特集 氷室京介』中で尾崎豊が氷室京介へ贈ったメッセージ。
http://ameblo.jp/yasromance/day-20101212.html

⑩藤井フミヤ
尾崎のデビューが1983年、チェッカーズのデビューも同じ1983年である。かたや、チェッカーズは地方から出てきて、メンバーの実生活とは異なる「ギザギザハートの子守唄」と言う不良的イメージの曲でデビューした。かたや、尾崎豊は東京の都会の空気を吸い続けて育ち、実際に不良的な言動もとりつつ、青山学院高等部と言うおぼっちゃま学校に入学・自主退学している。チェッカーズは、アイドル的イメージを否定せずにポップスを歌い、尾崎はアイドル的なルックスを備えつつも、アイドル的プロモーションを否定してロックンロールを主張した。当時の尾崎には、チェッカーズには負けたくないと言う対抗意識があったようである。
私的には、「シェリー」「太陽の破片」「HIGH-SCHOOL ROCK’N ROLL」が聞きたい。