ローテンブルク(独[ドイツ]) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 7年前の8月19日(金)の「ハイデルベルク(ドイツ)」のブログ

 

 

の下段に、

「(前略)フランクフルトに行く目的は、ここが、 ドイツ観光局の目玉であるロマンティック街道( ドイツ語:Romantische Straße)を観光する ためのバス(英語:bus)の始点に なっているからです。フランクフルトから このバスで ずっと南下することになるため、このブログ記事の冒頭で フランクフルトにってしまったことを記しましたが、ハイデルベルクに 立ち寄る ために 少し戻ったのです。御承知のように、 ドイツの観光街道は ほかにもあります。 機会がありまして、 宜敷よろしければ、この観光街道のことも含めまして この続きを記させて頂きます。(後略)」と お伝え申し上げまして、誠に有り難いことに、「いいね」を頂きましたので、今回、その続きを記させて頂きます。

 

 ときに、学部生の頃 すなわち 約37年前の昭和61年(1986年)(菜食を始める前のことです)8月27日(水)の午後9時過ぎに、フランクフルトに到着しました。 ちな みに、駅に泊ろうかと思いますが、黒人が多いので 駅前の hotelホテル エデンに check-inチェック・イン しました。なお、主人が たいへん 親日的であり、面白おもしろい人でありました。ついながら、部屋は 84号室。 ちな みに、午後10時30分 就寝。なお、往路の機内で 若い商社マンに、夜 到着したら、料金が 高くても 駅前のhotelホテルに泊まるように言われていました。ついながら、その hotelホテル エデンの シングル 一泊料金は、40DMでありました。 ちな みに、昭和61年(1986年)当時、DM( ドイツマルク)(当時の西  ドイツの通貨)の円貨換算率は ¥78.36円くらいでありました。なお、安い ビジネス hotelホテル クラスの料金でありますね。

 そして、翌日 すなわち 8月28日(木)午前5時 起床。1時間 けて、整理 と 洗濯。それから、頭を洗いました。そうして、午前6時から 7時まで  散歩。すなわち、マイン川沿いに 歩きました。ちな みに、人がなくて、なかなか しんみりと落ち着いていました。なお、空は どんより くもっているので、薄暗いが 雰囲気は よかったです。ついながら、帰りに 葉書はがきを出しました。そして、午前7時に hotelホテルの戻り、朝食を摂取りました。 パン(ポルトガル語:pão)、バター、ジャム そして 紅茶で ありました。ちな みに、この日の昼食 と 夜食を確保しました。なお、午前7時40分 出発。それから、午前7時50分 bus stationバス・ステーション  にて、上記の ロマンティック街道(ドイツ語:Romantische Straße)を観光する ための バスの予約を完了しました。そうして、午前8時15分 出発。

 ところで、Würzburgヴュルツブルク ドイツ語)(このマイン川沿いの都市は バイエルン州の23の上級中心都市のひとつであり、人口は MünchenミュンヘンNürnbergニュルンベルク そして Augsburgアウクスブルク にいで 同州で 4番目に 大きな都市であります)に、約25分間 休憩。ちな みに、駅前の公園で 写真のみ 撮影りました。

 

 

上記のように Würzburgヴュルツブルク 駅前の公園で 写真のみ 撮影りました(左手に、当時 唯一の情報源であった ガイドブックを持っています)

 

 

Würzburgヴュルツブルク 駅前(上記のように、昭和61年[1986年]8月28日【木】の日付が記されています)(左手に、当時 唯一の情報源であった ガイドブックを持っています)

 

 

 

 

 

 ならびに、Rothenburgローテンブルクドイツ語)(ドイツ南部の バイエルン州ミッテルフランケン行政管区のアンスバッハ郡にある大規模郡都市・城塞都市)は、午前11時35分から 午後1時45分まで でありました。それで、市庁舎(高さ 約60mの鐘楼)に登りました。 ちな みに、景色が最高でありました。 なお、ここは 午後0時30分まで なので、急ぎました。ついながら、当時は Rothenburgローテンブルク とわれていましたが、最近では 正式名称である Rothenburg ob der Tauberローテンブルク・オプ・デア・タウバー (Tauberタウバー川の上方にある Rothenburgローテンブルク)と言うようであります。

 

 

市庁舎に登りました

 

 

市庁舎に登りました

 

 

景色が最高

 

 

 

 および、中世犯罪博物館に入館しました。なかなか 拷問についての道具が圧巻でありました。 ちな みに、めずらしくも おそろしい 拷問道具が 多数 展示されています。なお、下の画像は、東洋の藁人形わらにんぎょうドイツ版(木製)であります。

 

 

拷問道具の展示

 

 

東洋の藁人形わらにんぎょうドイツ版(木製)

 

 

 

 

 

 また、Käthe-Wohlfahrtケーテ・ウォルファルト(一年中 クリスマス商品を売る店)に行き、クリスマスの用品を見ました。 ちな みに、そのときは、メルヘン的で 綺麗であると思われました。なお、街並みも メルヘン的であり、幻想的な遊園地の世界でありました。

 

 

Käthe-Wohlfahrtケーテ・ウォルファルト(一年中 クリスマス商品を売る店)

 

 

クリスマスの用品

 

 

 

 それから、去る 5年前の12月25日(火)の「クリスマス(うなぎ蒲焼かばやき・210[父親の食事])」のブログの冒頭に、

「(前略)去る 一昨々年さきおととしの12月11日(金)の『クリスマス・イルミネーション』のブログ の上段に、

『(前略)去る11月1日(日)の【ハロウィン】のブログ の上段に、

【(前略)母親は、20歳以前 都内の大きな 某・プロテスタント(英語: Protestantism、Protestant)の教会(固有名詞は、えて割愛させて頂きます)に通っていました。通う動機となったのは、牧師が優しそうであり 讃美歌がよかったからとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。そうだったからかもしれませんが、母親は、クリスマスと聞くと いまだにワクワクするのだそうで御座ございます。(後略)』と記させて頂きました。 ちなみに、去る3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、その母親は 亡くなりました。(後略)」と記させて頂きました。

 そして、上の画像のクリスマスの用品を購入しました。 ちな みに、値札に 福祉( ドイツ語:Wohlfahrtウォルファート)と書かれてありましたので、寄付金が含まれているのでありますね。なお、前述致しましたように、昭和61年(1986年)当時、DM( ドイツマルク)(当時の西  ドイツの通貨)の円貨換算率は ¥78.36円くらいでありました。ついながら、家政婦に 下の画像の商品をみせましたら、木で 出来ているとのことでありました。しかも、誠に有り難いことに、「母親に見せてあげれば・・・」 とのことでありました。 ちな みに、上記のように、母親によりますと クリスマスと聞くと いまだにワクワクするとのことでありました。但し、上記のように、その母親は 亡くなりました。なお、あの世で 見てくれるでありましょうか。心より お祈り申し上げます。 

 

 

クリスマスの用品(3.95DM[ ドイツマルク])

 

 

クリスマスの用品(3.95DM[ ドイツマルク])

 

 

クリスマスの用品(3.95DM[ ドイツマルク])

 

 

クリスマスの用品(8.50DM[ ドイツマルク])

 

 

 

 しかも、聖ヤコブ教会の「最後の晩餐」の写真を撮影りました。 ちな みに、そのときは、満足しました。

 

 

 

 

 

 

(左手に、当時 唯一の情報源であった ガイドブックを持っています)

 

 

(左手に、当時 唯一の情報源であった ガイドブックを持っています)

 

 

 

 

ベランダに 花をかざる(左手に、当時 唯一の情報源であった ガイドブックを持っています)

 

 

 

 日本では 外に 洗濯物を すことがありますが、 ドイツでは 外に 洗濯物を しません。 ちな みに、ドイツの夏期は、上記のように 空は どんより くもっている日が続くのであります。その事情もあるかもしれませんが、ドイツでは、洗濯物を 屋根裏部屋などの 風通しの いい所に すとのことであります。なお、日本のように ベランダに 洗濯物を すのではなく、ドイツでは 上下の画像のように ベランダに 花をかざっています。


 

ベランダに 花をかざ

 

 

 

  つぎ に、Dinkelsbühlディンケルスビュールドイツ語)は、午後2時45分から 午後3時30分まで でありました。それで、聖ゲオルク教会(ドイツ語:St.Georgkirche)のみ 行きました。

 ならびに、Deutsches Hausドイチェス・ハウスは、新しい感覚の建物で hotelホテル になっています。取り分けて 目立つわけでは ありません。

 および、Dinkelsbühlディンケルスビュールドイツ語)を過ぎたところで、ドナウ川を見ました。

 

 さて、ロマンティック街道の終点の Augsburgアウクスブルクドイツ語)に、午後5時40分に 到着しました。ちな みに、Domドームドイツ語)(日本語:大聖堂)まで  歩いていきました。なお、雨が降っています。ついながら、途中 ヘラクレス像のところで 写真を撮影りました。ちな みに、駅前で 買った ニシンのサンドウィッチが 美味おい しかったです。なお、Domドームまで 行くのに、苦労しました。すなわち、5人に 道を きました。ついながら、Domドームなかは暗く、観光客も 1団体のみであり 少なかったです。ちな みに、全般的に Augsburgアウクスブルク では、観光客に 会わなかったです。そのためか 現地の人たちに 振り返られることが多かったです。なお、午後5時40分から 午後7時21分まで  Domドームを往復しました。ついながら、誠に有り難いことに、荷物預かりで 無料で 2時間 預かってくれました。

 

 

Augsburgアウクスブルクドイツ語)(昭和61年[1986年]8月29日【金】の日付が記されていますが、実際には 上の画像と同様に 8月28日【木】であります。 ちな みに、カメラの日時が 半日 ズレていました)

 

 

(上記と同じく、上の画像の右下の日付が 昭和61年[1986年]8月29日【金】となっていますが、これは カメラの時間合わせの問題でありまして 実際には 上記のように 同 8月28日【木】の午後であります。すなわち、日付が 翌日になってしまっているのですね)

 

 

Domドームドイツ語)(日本語:大聖堂)ここには、世界で 一番古い ステンドグラスが残っているとのことでありました(上記と同じく、昭和61年[1986年]8月29日【金】の日付が記されていますが、実際には 上の画像と同様に 8月28日【木】であります。 ちな みに、カメラの日時が 半日 ズレていました)

 

 

Domドームドイツ語)(日本語:大聖堂)(上記と同じく、上の画像の右下の日付が 昭和61年[1986年]8月29日【金】となっていますが、これは カメラの時間合わせの問題でありまして 実際には 上記のように 同 8月28日【木】の午後であります。すなわち、日付が 翌日になってしまっているのですね)

 

 

上記のように 雨が降っていますので、かさを持っています(上記と同じく、昭和61年[1986年]8月29日【金】の日付が記されていますが、実際には 上の画像と同様に 8月28日【木】であります。 ちな みに、カメラの日時が 半日 ズレていました)

 

 

 そして、駅に行きました。ちな みに、当時 ロマンティック街道は カップルで来るべきところであると思われました。

 

 

Augsburgアウクスブルク 駅(上記と同じく、上の画像の右下の日付が 昭和61年[1986年]8月29日【金】となっていますが、これは カメラの時間合わせの問題でありまして 実際には 上記のように 同 8月28日【木】の午後であります。すなわち、日付が 翌日になってしまっているのですね)

 

 

 

 ときに、午後10時16分に、Heidelbergハイデルベルクドイツ語)に到着予定でありました。そして、Heidelbergハイデルベルク 午後10時46分 発、午前1時36分に Baselバーゼル 着であります。それから、Baselバーゼル駅の構内で 約3時間 時間調整をします。 ちな みに、Baselバーゼルで 両替予定でありましたが、Oltenオルテンで 両替しました。そうして、午前4時42分 発、午前7時33分に、Interlakenインターラーケンに到着するはずでありました。

 すなわち、ドイツから スイスに向かいました。この続きは、去る 9年前の10月28日(火)の「スイス(海外のこと)・前編」のブログに記させて頂きました。

 

 

(上記と同じく、昭和61年[1986年]8月29日【金】の日付が記されていますが、実際には 上の画像と同様に 8月28日【木】であります。 ちな みに、カメラの日時が 半日 ズレていました)

 

 

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)