金正恩氏は常軌を逸した異常者か?

 

 金正恩。今や世界一の問題児で、一般人からは想像を絶する異常者に見えます。しかし、彼の異常性は、自分自身も内面に持っている保身と既得権益に固執する傾向の延長線上にあり、決して常軌を逸した理解不能のものではないとも思えるのです。今日はこの視点から、考察を試みたいと思います。

 

 環境を破壊し、自らの生存を危うくするような産業構造。何をやるにも「いったいどれくらいのお金になるのか?」「いったい幾らかかるのか?」と、いつもお金に換算して行動の評価をしなくてはならない行き過ぎた貨幣経済社会。お金や社会的立場に捉われる余り、率直に喜びを与えてくれる仕事や活動に従事することが難しい状況。そんな社会のありかたに少なからず疑問を感じ、出来ればもっと違った、より良い構造に変わることを望む空気は蔓延しているものの、何かを改善しようとしても、その反動で同時に何かが改悪され、結局はどれだけ努力をしても、世の中はますます望ましからぬ方向に動いてゆくという出口の見出せない状況。音楽も、マーケットで大きなお金を生み出せる投資対象としての価値がない限りは、メディアを通じて広く世間に紹介されることはなく、真摯に芸術を目指す音楽家であっても、売れ線の音楽を組織的にプロモートする仕組みに乗らない限り、音楽活動を維持しながら日々生活するためのギリギリの収入を得るのも大変です。その一方で、お金にさえなれば、素人高校生のアイドルブループの歌でもレコード大賞を取れてしまう時代。

 

 このような状況を維持継続させる社会システムがしっかりと出来上がり、その中で全てのサービスと物品を供給する様々な職業が営まれているために、個人的にこれらの社会システムに背を向けて生きようとしても、結局は、生活に必要なサービスや物品などのリソースのほとんどは、背を向けているつもりになっている当のシステムに依存することになります。つまり、そのつもりはなくても、普通に暮らしていることで、そのシステムの一部として存在し、その維持と発展に寄与しているのです。この認識に立つと、社会システムの在り方に疑問を感じた場合には、自分もそのシステムの一部であり、少なからずシステムの在り方に責任を負っていることを自覚することができます。そして、社会問題を自分の外にある「誰か他人によって引き起こされた害悪」として自己の在り方と切り離して非難することは的外れであり、自己の内側にこそ問題の原因を探ろうとすることで、大きな変革に繋がる小さな個人的努力の方向性が見出せるという希望が見えてきます。

 

 政治家や官僚など、公の利害に重大な責任を持つ立場にある方々の自己保身や既得権益の維持のための言動に対しては、マスコミやネットで非難轟々、集中砲火を浴びて大きな社会問題として取り上げられます。こうやって、世の中の在り方への不満の矛先を特定の権力者に向けて、社会的な制裁を加えることで、確かに気分はスッキリします。しかし、そうやって他人を攻撃することが、自分の属している社会を良くすることにつながっているかというと、現状を見る限りはむしろその逆で、そうやって適度にガス抜きされる結果、根本的な問題から目をそらすこととなり、むしろ同じような状況が維持される傾向が強化されているように見受けられます。

 

 我が身を振り返ると、日常生活や仕事において「本当はこうすべきだよな」と思っていながら、ある種の保身、あるいは既得権益の維持のために、大小様々な妥協をしています。「電気の無駄遣いはやめた方が良い」と分かっていても、これまで通りに家中が明るい方が気持いい(既得権益)から、不必要に部屋を明るくしたり使っていない部屋の電気をつけっぱなしにする。「地産地消が良い」と思っても、安い方が助かる(既得権益)ので大規模生産業者の食品や輸入品を買ってしまう。ファームで「遺伝子組み換え飼料は良くない」とわかっていても、オーガニックな物を探して買うのは手間も費用もかかるため、簡単に手に入れることのできる(既得権益)遺伝子組み換えコーンの入った飼料を買ってしまう。天気が良くて外に洗濯物を干せる日でも、洗濯機の横にある乾燥機に突っ込む方が楽だから(既得権益)、乾燥機を使ってしまう。自分の働いている業界に納得できない部分があっても、そこでの仕事をやりにくくしたくないので(保身のため)、本当に言いたいことは言わずに現状に甘んじる、などなど。このような例は際限なく列挙できるほどに、既得権益と保身のために毎日いくつもの妥協を積み重ねています。このように、社会問題の根源は、実のところ、少数の権力者の能力不足や失政ではなく、大勢の個人の小さな妥協の蓄積にあるのではないかと思えてきます。

 

 金正恩は、北朝鮮という独裁国家における独裁者としての立場、これまでの数十年に渡る情報統制と偏見に満ちた教育によって形づくられた自国の世論など、自らをがんじがらめに縛るシステムのまっただ中にあって、自己の保身と既得権益の維持のために、 また、そこに群がる彼に近しい人達のためにも、今のような形で振る舞うしかないのかもしれません。彼の行動により世界が受ける影響は、古佐小が物干で洗濯物を乾かす代わりに乾燥機を使うというプチ・保身/既得権益維持行動の影響に比べると、外的には比べ物にならないほどに大きいのですが、個人の内的なプロセスとしては、本質的には同じではないかと思っています。つまり、自分がもし金正恩の立場におかれたら、彼と同じような保身と既得権益の維持のための行動をしてしまいかねない内的傾向を持っています。言い換えると、自分の中にも内なる「金正恩」を抱えています。

 

 プラトンは、国家論のなかで、「国家の特徴は、それを構成している国民の特徴をあらわしている」という主旨の論を展開していますが、世界が緊密につながっている現代においては、世界で様々に起こっていることが、世界を構成している一人一人のあり方を投影しているとも言えるのではないでしょうか。一人一人の心の中のプチ・金正恩が、あの金正恩を産んだのかもしれません。 また、一人一人の内なる「金正恩」的な保身と既得権益保持の傾向が、人類全体として環境破壊、不当な富の分配、政治の腐敗、民度の低下、文化の頽廃などの大きな社会問題を産んでいるのかもしれません。

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