長い連載にお付き合いいただき、ありがとうございました。今回で田舎暮らしのための意識改革シリーズも最終回です。

 

 田舎では、音楽演奏会や演劇、ダンス、絵画や写真の展覧会、講演会、洗練された飲食店での外食などの文化的なアクティビティに触れる機会は、都会に比べると非常に少なくなります。おそらく、自然に近い田舎での生活に概ね満足していても、文化活動が少ないということに関しては不足を感じる方も多いと思います。

 都会では日常的に接することのできるような文化的な経験を、田舎での生活で期待することは難しいのですが、田舎には田舎ならではの風流があります。ただ、それは、それを見出そうとする少しばかりの努力と、それを生活の中に取り入れる少しばかりの工夫が必要です。古来、日本人は、雅(みやび)と鄙び(ひなび)の両方にそれぞれの美を見出す心を持っています。田舎では、雅を期待することは難しくても、鄙びの風流を楽しむ機会は多くあります。

 例えば、ここでは美しい劇場で素晴らしい歌手とオーケストラによるオペラを観劇する機会はありませんが、馬の水桶を改造した風呂桶にお湯を張って、満点の星空を見上げながら露天の風呂に浸かり、ビールを片手に虫の鳴き声に耳を傾けることはできます。高級な花屋さんで生けてもらった見事なフラワーアレンジメントは手に入りませんが、季節に応じて咲く野花を摘んで、いつもフレッシュな切り花を楽しむことができます。世界的に有名な弦楽四重奏団の生演奏を聴く機会はないかもしれませんが、いろんな鳥の鳴き声、林を吹き抜ける風の音、恋を語りあうカエルの合唱、畑にこだまする虫の音、静けさに染み入るような雨音、遠くに響く狐やコヨーテの遠吠え、それに何よりも真の静けさを経験することができます。これら自然が与えてくれる芸術を楽しむ心があれば、あとはそれを楽しむ場面を自分で作ってやれば良いのです。

 大芸術家のレオナルド・ダ・ビンチは、自然にこそ芸術の根元を見出していました。彼曰く、
「理解するための最良の手段は、自然の無限の作品をたっぷり鑑賞することだ。」

「誰も他人のやり方を真似すべきではない。
なぜなら、真似をすれば自然の子供ではなく、自然の孫でしかない。
我々には自然の形態がたくさん与えられているのだから、直接自然に触れることが大事だ。」

 ただぼんやりと月を眺めるのは退屈だというのであれば、うまい肴で一杯やりながら月を眺めれば良いし、朝早くから表に出て美しい朝日を見るのは億劫ということであれば、美味しいコーヒーを飲むついでに朝日を眺め、今日何をしようかなあとぼんやりと考えればいい。こういうちょっとした工夫で、無限に与えられている自然の美に触れる機会を増やし、日々の生活の中で鄙びな風流を楽しむことができるのです。

 田舎での生活では、ともすると荷重な肉体労働と、現金収入の不足から大きなストレスを感じてしまいがちです。そのストレスで疲弊して、田舎での生活の負の部分にばかり目を向けて、都会での生活を懐かしむようなことになってしまうと、田舎暮らしを続けることは難しくなります。都会で手に入っていた経験は、どれだけ望んでも田舎では手に入りません。しかし、ダヴィンチが言うように、「自然の無限の作品」はたっぷりあるのです。その作品に気がつける心にゆとりがあれば、都会では手に入らない素晴らしい経験が待っています。何気ない自然の美しさ、日々の生活の小さな幸せを、当たり前のものとして見過ごすのではなく、それを味わうことで、慎しい生活の中でも物質的豊かさに影響をされない真の心の豊かさを見出すことができるようになるでしょう。そして、このような風流の心を身につけたなら、好きな時に一流演奏家の音楽会と贅沢なレストランでの食事を楽しめる都会での生活に負けないほどに、文化的な日々を送ることができます。

 

 都会から田舎への移住を選択される方は、おそらく環境問題などの現代社会の様々な問題への意識が高く、中には現代文明の否定という動機から、全てを自給自足するハードコアなサバイバルをしながら、自然への回帰を目指す方もいらっしゃいます。確かに、そのような生き方もあるとは思いますが、最初の一歩のハードルがあまりにも高く、また、それを続けるためには、非常な覚悟と並外れた体力と精神力が必要となりますので、一般人がモデルとすべきライフスタイルとはなり得ません。

 田舎での生活では、テクノロジー社会への反発を動機として行動をするのではなく、むしろ、先端的なテクノロジー、どのような物品でも宅配で手に入れることができる高度な流通システム、インターネットによる情報通信網、交通機関の発達で数時間以内には都市部に出ていけるという便利さなどを選択的に賢く活用しながら、自然と文明の健全な融合を試みることで、よりバランスのとれた生産性の高い生活を送ることができます。

  そもそも、先進国に暮らしている場合、現代文明から離脱して生活することなどは、ほとんど不可能です。古佐小ファームでは、水、食料、エネルギー、インフラ整備とメンテナンスなど、多岐にわたって持続可能性の高いライフスタイルを実現するために、できる限りの自給自足を目指していますが、やればやるほど、既存の社会から離脱した形での自給自足は不可能であることを思い知らされます。例えば、自家水道設備によって井戸からポンプで水を汲み出し、タンクに貯めてそこから水道管に圧力をかけて供給することで、水を「自給」していますが、井戸、ポンプやパイプなどの設備や資材は、すべて工業製品を購入して組み立てることで作るわけですから、本当の意味では何も自給できていません。それらを供給してくれる文明社会があって、この水の「自給体制」も可能となっています。

 自動車、洋服、農具、食器、調理器具など、例をあげればきりがありません。どれだけ自給自足をしているつもりでいても、実は既存の社会の仕組みにおんぶに抱っこの状態であることは、都会で生活しているときと何ら変わりません。ただ、田舎ではそこへの依存の度合いがやや少ないだけです。
 
 では、田舎暮らしの本当の意義はどこにあるのか?

 それは、自然との距離感が近いというところだと思います。その分、厳しい自然の脅威にも曝されるわけですが、日光、土、空、水、風、野生の動植物などの自然の恵みを活用できる立場にもあります。そこで、自然との関わりを損ねないように注意をしながら、文明の利器を生活に導入し、両者のバランスの良い融合を実践できるライフスタイルを模索できることは、田舎に暮らしているものの特権でもあり、社会的な役割でもあります。田舎で生活する者は、都市生活者も含めた大きなスケールでの人間社会の一員という立場から、自らの存在意義と責任を考え、文明からの離脱ではなく、自然と文明の健全な融合を最先端で実践する先駆者としての自覚を持つことも大切ではないでしょうか。

 また、物理的に人口密集地である都会から離れて暮らしていると、他者との交流、あるいはグループや組織での活動も難しくなります。そういう世間を離れた田舎での隠遁者的な生活を好む方は別として、おそらく多くの方は、自分の仕事の実績に関し、ある程度社会的評価を得ることなしに、目標達成のために頑張り続けることは難しいと思います。田舎への移住については、人生の敗残者、都会で成功できなかったから田舎に引っ込む、というような悪いイメージを抱かれがちでもありますから、田舎での生活で孤独と挫折感に苛まれないためにも、なんらかの形で都会を中心とする外の世界とポジティブなつながりを持ち続けることは大切です。幸い、ソーシャルネットワークなどを通じて、物理的な方法ではなくバーチャルな方法で人と広くつながることのできる時代になり、フェイスブックなどで田舎での暮らしでの経験と気づきを都会で暮らす友人たちと共有したり、テーマを決めてブログやYouTubeで不特定多数に向けて発信することで、自分の選択した田舎での新しい生活について世間からのフィードバックを受けることが可能となっています。田舎での日常は、都会での非日常です。新しいライフスタイルの先駆者としての自分の存在意義も自覚しながら発信をすれば、都会で田舎への移住を夢見ている方へに夢を与え、同じようなライフスタイルに価値を見出している仲間と繋がる機会を得ることもできるでしょう。

 

(連載)「田舎暮らしのための意識改革」の参考資料として、ぴおちゃんねるよりFarm Vlogを掲載しております。お楽しみください。

 

 都会の生活では、季節による日照時間や温度の差異は、電灯とエアコンなどのテクノロジーによって均一化されているため、年間を通じて生活のペースをほとんど変えないまま、時計を基準として毎日のスケジュールが組み立てられています。

 社会全体の生産効率を考えると、このように、全ての基準を時計に集約し、年間を通じて同じペースで働くことが合理的です。特に、農林水産業などの季節の変化とともに仕事の内容が著しく変化する第一次産業に従事する人口比率が低い先進国型の社会においては、季節による変動を社会全体に反映させる必要性は小さいですから、この傾向は強化されることでしょう。
 
 しかし、普通の動物は、自然の流れの中で、それに合わせて活動リズムを変化させつつ生きていますから、人工的な時計とカレンダーに従って生きている人類は、生命体としては体に多少の無理をさせつつ生活しています。田舎で長年暮らしていると、それが現代人のストレスや健康不良の一因となっているのではないかと感じられます。

 都会では、「夜、あまりよく眠れない」とおっしゃる方によく出会いますが、それも無理からぬことだと思います。都会の夜は、屋外でも本が読めるほど明るく、家の中も寝る直前まで隅々まで電灯に照らされ、しかも目の前にはテレビやコンピュータ、スマホのスクリーンが光かがやき、その中では活発な世界が24時間休みなく展開しています。自然に囲まれた田舎に住んでいても、コンピュータやスマホでの作業が多くなると、自然のペースに合わせて生活することは難しくなりますから、都会ではなおさら、電子機器で作業する時間帯には気をつけたいところです。

 田舎のファームでは、屋外で作業をすることが多いため、生活パターンが日照と天候によって大きく影響されます。一般に、雨天時や日没後にできる屋外作業は非常に限られていますから、作業の内容とペースを季節に応じて変化させ、天候と日照時間合わせて調整する必要があります。夏と冬の気候の差が極端なカリフォルニア内陸部を例にとって、季節による生活パターンの変動を見てみましょう。

 概して晴天が少なく日照時間も短い冬には、その限られた時間内に効率よくハードに働き、残りの時間は屋内でのんびりと過ごすというペースになります。また、気温が低く、重労働をしても体力の消耗が少ないので、短期決戦型のハードな仕事に向いています。しかし、雨がいつ降るかわからないために、着工から完成までに何日もかかるような土木建築作業をすることは難しく、道具や資材なども、作業が終わったら毎回全てを濡れない場所に片付けておく必要がありますから、冬には「効率が良く最後まできっちりとした仕事をする」ことが強いられます。

 一方、日照が長く雨の降らない夏には、涼しい朝と夕方の時間帯を中心に働いて、暑い午後の時間帯は、屋内や日陰でのんびり休息するパターンなります。長期を要するプロジェクトに向いていて、道具や資材をそのままにして何日間も持ち越せますし、作業可能な時間はたっぷりとあるので、ダラダラ仕事をしても大丈夫です。35〜40度の猛暑の中では、どちらにしてそれほどハードには働けないので、むしろ休みながらダラダラと働かないと、暑い夏を乗り切ることはできません。スペインや南イタリアなどでは、昼食時に飲酒をしながらランチを腹いっぱい食べて、夕方までお店や仕事を休んで「シエスタ」と呼ばれる昼寝タイムをとる習慣がありますが、北カリフォルニアの夏も、シエスタ的な長い昼休みのある生活リズムが適しています。

 このように、1年を通じて夏と冬の気候条件の差が大きな北カリフォルニアの自然環境の中で働いてみると、季節に合わせて働くペースを大きく変えることが、人体にとってごく自然な環境への適応であると感じられます。

 一般に、常夏の赤道に近い地域では、社会全体にのんびりムードが漂い、自分のペースでチンタラと働く傾向があり、高い緯度の冬が厳しい地域では、生産性効率の高い社会がきちんと組織化され、全体のペースに合わせて真面目に働く傾向が指摘されます。このような地域差は、夏と冬の差異の大きな北カリフォルニアでの生活で季節によって生活のペースが変動するのと同じく、環境への適応の結果であると思われます。

 注意深く自己観察を行うと、季節に応じた生理的な変化も感じられます。日照の長い夏には、睡眠時間が減って運動力が増えるため、体は絞られて体重は減少します。逆に、日照に短い冬には、睡眠時間が増えて運動量が減り、体重はやや増加傾向になります。

 夏は、朝5時にはすでに明るくなりつつあり、暗くなるのは夜の8時以降。朝夕は涼しくて活動に適した条件が揃っているので、早起きをし、正午からの数時間はのんびり過ごし、再び夕方から暗くなるまで活動をするのがもっとも快適なパターンです。時計を気にしないで1日を過ごすと、だいたいこのようなパターンになっていきます。

 冬には、朝7時でもまだ暗くて寒いので、外に出て活動を開始するのは朝8時ころ。夕方4時頃にはすでに薄暗くなり始めるので、道具の片付けや作業の後始末を始めて、暗くなる5時頃には屋内に戻ります。人体は、日が暮れてからある一定時間が過ぎると眠たくなる仕組みになっているようで、9時にはかなり眠くなり、シャワーやその他の就寝準備をして、10時半ころには就寝。

 本来は、このように自然の流れに従って生活のペースを変えることが良いのだと思います。さりながら、テクノロジーを活用した環境のコントロールにも利点があって、寒さや暑さ、雨や風、強い日差しや日没後の真っ暗闇などの様々な自然の脅威を緩衝し、より安定した生活環境を提供してくれます。ただし、自然環境からどの程度の距離をとるかということ関しては、バランス感覚が必要です。自然からの距離が広がれば広がるほど、自然の変動に適応する能力は低下し、生存のためにさらに自然からの距離を広げなくてはならなくというスパイラルに陥っていきます。

 田舎での生活では、このバランス感覚を養い、テクノロジーを上手に活用しながらも、人本来の生活リズムのなかで生活するように心がけたいものです。