多 幸 | あずき年代記

あずき年代記

ブログの恥はかき捨てかな…
かき捨てのライフワークがあってもよろしからむ…

採血の結果聴きに、かかりつけ医へ。


日参しておりまする。


で、中性脂肪と肝機能、若干の数値オーバー。


しかたありませんな。

大晦日から1月15日まで寝たきりだったんだから。


散歩再開してまだ10日。

しばらく様子見である。


これでまた節酒の度合上がり、いずれまったく飲まなくなるとおもう。


もう生きているだけで多幸です。

御多幸…老舗のおでん屋さんみたい…


ダワー「敗北を抱きしめて」よみつづける。


焼跡・闇市に滾った喰うためのエネルギーはなりふりかまわぬものだが、それは敗戦による価値顛倒から無意識のアナーキズムを産みだした。


それを表象するのがカストリと呼ばれた粗悪な酒とパンパン(語源不詳の由)と言われた街娼たちである。


ダワーはこの現象にカウンター・カルチャーを見出しており、坂口安吾、太宰治たちの文藝が持て囃されたこととリンクさせている。


パンパンたちには傷みと哀しみがむろんあるが、同時に、民主主義を富と物欲を満たすものとドライに割り切りった主体的存在という一面も有していた。


笠置シヅ子さんが彼女たちのミューズであったことがよく理解できる。


森鷗外の研究から出発したダワーが「敗北を抱きしめて」で試みたのは戦後派作家たちが提唱して実現しきれなかった全体小説のノンフィクション的構築だろう。