昨日の日記で、冬が待ち遠しいと書いた。
 


そしてまさにその同じ日、空は当てつけか何かのようにめちゃくちゃに晴れまくり、気温が30℃を越える真夏日となった。

いや、天気予報を見ていたら書いてあったのかもしれないが、少々出来すぎな感じである。

これも私の人徳がなせるわざであろう。

閑話休題。

にほんブログ村というブログランキングサービスがある。

 

サイトを運用する上での有用性については賛否両論あるが、検索流入のごく少ないサイトであればそれなりの意味がなくもないと思う。


このブログも登録しているのだが、このサービスにおける数字の扱いに奇妙な部分があることに気づいた。

今日はにほんブログ村のシステムについて知ったことを書きたいと思う。

ブログ村では、ブログ村からそれぞれのブログへのアクセスをOUTポイント、ブログからブログ村へのアクセスをINポイントと読んでおり、これに基づきランキングを表示している。

 

 

問題はこのポイントの算出である。

他の多くのブログでは、1アクセスにつき合計10ポイントが発生するようである。たとえば、1IPアドレスで1回ブログからブログ村へのアクセスがあると、合計で10INポイントが発生する。

なお、ここで「合計」と言っているのは、カテゴリごとのランキングページに表示されているカテゴリごとに割り振られたポイントではなく、参加している全てのカテゴリの合計ポイントについて言っているからである。

合計ポイントは、https://blogmura.com/profiles/[ID]/ranking#table で確認できる(プロフィールページを開いて、「ランキング詳細」をクリックすることでアクセスできる)。

1アクセスにつき合計10ポイントが発生していることは、他のブログのリンクを踏むことで容易に確認できる。

ところが私のブログでは、4ポイントしか発生しない。それもカテゴリを変更してからのことで、その前は3ポイントであった。

その際、奇妙な現象も発生している。アクセスがあったにも関わらず、特定のカテゴリに限って「圏外」と表示されているのである。「圏外」はランキング掲載の対象となるポイントがない場合の表示であり、割振を変えていないのに特定のカテゴリだけ「圏外」であるというのは、本来ないはずである。

状況をまとめると、以下のようになる。

<前> 無職・割振率80% ひきこもり・割振率10%(圏外表示) ネット・割振率10%(圏外表示) → 1アクセス3ポイント
<後> 無職・割振率10% ひきこもり・割振率80% ネット・割振率10%(圏外表示) → 1アクセス4ポイント

変更した当日には、7ポイントという奇妙な数字もある。おそらく、3+4で7ポイントなのであろう。

これはいったいどういうことなのか。

実は、にほんブログ村のサポートページに、ひっそりとこの様な記述がある。

 

また、記事の更新が止まっていたサイトやその他の要因により自動的にポイントが減算される場合もございますので、カテゴリーが1つの場合でもポイント数に端数が発生いたします。

 

 

要するに、運営の判断で勝手にポイントをいじる場合があるというのである。

こうとも書いてある。

 

なお、大変申し訳ございませんが端数表示についてのご質問(仕様やアルゴリズム等を含む)につきましては、お問合せいただきましてもお答えできませんので何卒ご了承くださいませ。


ムラの社会においては、暗黙の掟と有力者の意志が全てを決定する。にほんブログ村もまたその例外ではない。

なぜ3ポイントなのか、なぜカテゴリ変更で4ポイントに変わったのか(または関係のない別の要因によるものなのか)は、まったくわからない。

仮説を立てられないわけではないが、検証する術は持たない。検証しようと繰り返し実験すれば、いよいよ村を追い出されることになるだろう。

もっとも、村の掟はブログ村だけにあるのではない。

アメブロではスマートフォンアプリやサイト内のレコメンデーションからのアクセスも少なくないのだが、どうも、その露出はアルゴリズムによる内容の判断が関係しているようである。私はなるべく記事に「無職」や「底辺」といったハートウォーミングな単語を盛り込むようにしているのだが、それを忘れた記事は読まれやすい印象がある。

さらに言えば、検索流入を司るGoogleもまた村の掟を持っており(というよりこの手の操作の嚆矢かもしれない)、村の掟を推測することでうまく立ち回るというのが、検索エンジン最適化と呼ばれるテクニックである。

考えてみると、これは別にネットだけでもない。程度の差こそあれど、ほとんどあらゆる場に暗黙の掟があるものである。

 

一般社会で明瞭なルールが事前に共有される場は競技くらいなのかもしれない。しかしそれも判断に裁量の入り込む余地はあるし、時には正式なルールにない村の掟が生まれていたりもする。

ともあれ、村の掟を畏れ敬い、有力者によく従うことが下層民の生きる知恵である。