立山カルデラ体験学習
先週に続いて立山山系へ♪
先ずはキッカケを与えてくれた「さとさん」に感謝!
早速申し込むと、?倍の難関を運良く突破 ヽ(゚◇゚ )ノ
自宅を4:30に出発、糸魚川から高速に乗り立山ICで
下線。途中二ヶ所で一服&朝食を摂り予定通り8:00に
現地へ到着。既に受付が始まっていた。
【富山地鉄・立山駅】
受付後、時間があったので付近を散策しつつ撮影。
会社の後輩と立山~双六縦走出発時以来26年ぶり。
尤も、当時の駅舎がどんなだったか覚えてないが。。
【立山カルデラ砂防博物館】
我々Bコース組は、先ず博物館に入り立山カルデラの
生い立ちや歴史、砂防の状況など説明を受ける。
利用バス三台が何れも富山県・富山市・立山町公用車
だったのは、如何にも公共のイベントらしい。。。
車で立山カルデラへ入るには折立から真川林道経由。
有峰林道や折立も初めてなので山行時の参考になる。
真川林道検問所にあった横断幕、時として牙をむく自
然の怖さを現わしている。
最初の見学地にして、筆者が一番見たかった場所へ。
入口には安政五年の大鳶地震により崩落した土砂に埋
もれ、犠牲となった宿泊者や従業員の供養塔が建つ。
【往時を偲ばせる浴槽】
大鳶地震の後、復興を果たし最盛期には300人を超える
宿泊客で賑わったそうだが、1969年の豪雨災害で現地
への登山道が流出。復旧を目指すも間もなく開通したア
ルペンルートにより集客の見込みが立たず、断念。
営業終了を決意したが、温泉宿解体に多額の経費が掛
る為、火を点け焼いて片付けたらしい。
映画「剱岳・点の記」にも、雨で下山してきた紫崎芳太郎
一行の温泉到着シーンが出てきた。。
現在では僅かな礎石とタイル張り浴室・浴槽が残るのみ。
温泉跡地近くに建つのを見て、何故か胸にくるものが・・。
富山県知事浜口恒之助さんが立山カルデラの砂防を称し
大正4年「護天涯」と石に刻んだ事から、以後この二文字
は色々なネーミングに用いられている。
橋を渡った湯川右岸にあり、立山温泉では舟を浮かべて
宿泊客の遊興にも利用したらしい。。
今は静まり返り時折ニジマスのライズする音だけが響く。
【多枝原平展望台】
大鳶地震による崩壊壁が眼前に展開し、此処を訪れた
幸田露伴の次女・幸田文が書いた「崩れ」の一文が右の
1969年の豪雨災害で崩落した土砂が堆積、その後決壊
して土石流を引き起こしたが、その決壊跡が発生年に因
んで六九谷と名付けられた。展望台からは今でも荒々し
い崩壊跡と、その奥には治山効果で徐々に緑が蘇って
きた立山カルデラの全容が望める。
昭和4年着工、昭和14年竣工。我が国有数の急流荒廃
河川である常願寺川の基幹砂防施設であり、今なお富山
平野を土砂災害から守り、また大型機械を駆使した大規
模建造物群からなる複合的砂防施設であり、近代砂防施
設の一つの到達点である、として今年、重要文化財に指定
された。(立山砂防事務所パンフより抜粋)
【白岩堰堤に懸る橋】
荒れる川の面影など微塵も感じさせない穏やかな風景。
【立山カルデラ鳥瞰図】
下山後に眺めてみると辿ってきたコースが良く分かる。
白岩堰堤のすぐ上流右岸には、カルデラ内砂防工事者
専用に現代版立山温泉がある。
残念ながら我々体験学習者は天涯の湯に入れないので
外に設けられた足湯で我慢。。
旧トロッコ軌道敷のあるトンネルを歩いて水谷出張所へ。
立山砂防事務所の最奥地に在り、トロッコの終点基地
いよいよ最後のお楽しみ、トロッコ乗車の時間が近付く。
【出発進行~!】
三輛編成、一輛に6~8人乗れる。遊園地にある遊具と
同じで、軌道幅は最少の610mmらしい。。
急斜地を走る為、全線で38段のスイッチバックがある。
中でも樺平~水谷間は18段が連続し、世界一。
【千寿ヶ原到着】
全長18kmを凡そ1時間半、起点の千寿ヶ原到着~♪
車中では説明員の方が沿線の状況など逐一説明して
くれたが、後半は睡魔の方が勝ってしまい zzzZZZ
しかし、鉄道ファン膵炎の的?お金を払っても乗れない
トロッコに、往復はがき代+傷害保険代(50円)だけで
乗れてしまうのだから、やはりラッキーだった♪
【登録記念物】
昭和初期から運行が続けられている工事用軌道として
の歴史的性格が評価され、2006年に文化財保護法に
基づく登録記念物に登録された。一般客の利用は通常
許可されないが、地元の博物館が主催する砂防工事の
見学会に参加することで、乗車することが可能である。
(以上、ウィキペディアより)
滅多に入れない空間に身を置けた上、好天にも恵まれ
有意義な体験学習の一日だった~ (^∇^)
撮影機材:カメラ PENTAX K100Dsp
レンズ SIGMA 18-125mm
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