野中用水(1) 大沼田用水分水点~武蔵野神社前
野中用水は1732年に掘削された水路で、1734年に掘削された大沼田用水より早く完成しています
大沼田用水より早く完成しており、本来は鈴木用水と大沼田用水の分水点から、大沼田用水と野中用水が別れるまでの区間も野中用水だったのかもしれません
しかし、ここでは現在の分類を元に天神窪東側の分水点以東を野中用水として扱います
野中用水は、青梅街道や東京街道に沿って流れる水路で、現在の昭和病院前や東部公園の北側などで分水し、野中新田を廻って東久留米の柳窪方面へ流れます
写真1 天神町1丁目交差点の西、青梅街道へ向かう野中用水暗渠
大沼田用水との分水後しばらく東進していた野中用水は、天神町1丁目の交差点200mほど手前で青梅街道沿いへと北上する
この区間は完全に歩道化しているが、区分されており水路部分は確認できる
写真2 青梅街道と野中用水
歩道と一体化して進む野中用水、水路幅は広くコンクリート製の護岸で作られている
水は当然流れておらずゴミが目立つ
写真3 民家の庭を進む野中用水
天神町1丁目交差点の東側、農家の庭を野中用水が通っている
素掘りの区間で幅は狭いがやや深い、保存状態はとても良くすぐ水路に戻せそうだ
写真4 多摩湖自転車道路との交差部
この辺りも水路はきれいに残っているが水は流れていない
一昔前は、橋から水が流れている姿を見る事が出来た
10年ぐらい前までは流れていたが、いつから流れなくなったのだろうか
写真5 昭和病院前の野中用水分水地点
スポーツクラブのフェンスと隣の壁の間に僅かな空間が野中用水まで続いている、これが昔の水路跡だとおもわれる
分水した水路はこのまま青梅街道の北側へ出た後に、北側歩道に沿って東へ進む
青梅街道の北側歩道は、その水路併走区間だけ幅が広くなっている
写真6 武蔵野神社
青梅街道北側に面した神社、参道も青梅街道に繋がっており
50年ほど前までは門前に野中用水が流れ、橋を渡って参拝していたのでしょう
この神社は野中用水より古い1724年の創建との事、野中新田開発の成功を祈願して作られたのだろうか