秩父 大地のこと | 秩父曼荼羅小屋通信 ~武尚院 峯龍の求道日記~

秩父曼荼羅小屋通信 ~武尚院 峯龍の求道日記~

修験道や武術などの修行を通じて、感じたことを気まぐれに記します。
秩父曼荼羅小屋での出来事や、イベント、講座の情報などをお便りします。
秩父曼荼羅小屋公式ホームページ(ご質問や講座申込みはこちらから)
https://chichibumandara.jimdofree.com/

何時もありがとうございます。
今回は秩父のことについて、大地の成り立ちを
神仏を交えて記事にしてみました。
長いのでお暇な方はどうぞご覧くださいませ。
また、あくまでも私的な見方なのでよろしくお願いいたします。

秩父曼荼羅小屋が在ります

埼玉県秩父の土地柄と歴史的考察

について少しお話ししてみたいと思います。


地質学や歴史のお話しと

私的な神仏の想像が含まれますので

参考までにとしてくださいませ。


【秩父の方位】

皇居(都)から見ると秩父は北西に位置します。

北西に位置すると云うことは、

「犯してはならない重要な位置付け」とも

考えられ、精神的方位、神仏的方位

でもあります。

皇居(都)の結界や守りは先人が

風水や陰陽道などに基づき

何重にもなる守りとなっており、

現在も影響する内容でもあります。


また、日本列島の重要ボインととなる

富士山から見ると秩父は北東に位置し、

富士山の鬼門の守りとなります。

富士山からみてさらに北東には

日光東照宮が建立されます。

因みに東照宮建立にあたり、

秩父神社を始め各神社なども大きく関係しており、

徳川家より大きな財政支援が在りました。

秩父神社などの装飾も東照宮と同じく

左甚五郎が手掛けたと伝わります。


【秩父の大地】

日本の中央構造線は九州霧島から四国石槌、剣山、

紀伊の葛城、伊勢神宮、長野諏訪、秩父の北を通り、鹿島神宮に繋がります。


さらに秩父を起点に、古生代の地層「秩父帯」が

関東の大地や山脈に広がり、和歌山、四国、

沖縄まで繋がります。

秩父の大地は太古の昔は海であり、秩父湾とも

伝わり、地球の地脈エネルギーの隆起により

大地、盆地となりました。

現在も河川敷や岩盤隆起のポイントでは

化石が見つかります。


参考までにこちらをご覧くださいませ。↓↓↓


秩父帯は奥秩父や関東の山地から、

紀伊半島、四国四万十、九州霧島を通り、

沖縄まで繋がるとお話ししましたが、

神仏の流れや伝わり方も、地脈や水脈が

関係していると思われます。


秩父帯の繋がりや水脈の繋がりは

神仏信仰の基盤を推測させてくれるのです。


神奈備山 武甲山
記録を見る限り、その時代に応じて名称が
変化しております。妙見山、秩父ヶ嶽など様々な
名称が記録されております。
長瀞の岩畳
中央構造線の影響か
大地の隆起により地表まで地脈のパワーが現れて
います。

【神仏の伝播】

秩父の信仰は地脈、水脈を伝い伝播したと

考えられ、諏訪信仰や熊野修験による

蔵王権現、八大龍王、観音信仰。

また、戸隠を経て八意思兼命の信仰などが

現在の秩父信仰の基盤になっております。


秩父帯上の熊野修験や信仰

中央構造線など地脈や水脈水系から

戸隠や諏訪の信仰

秩父観音霊場32番法性寺観音堂に

見られる地層。


【秩父観音霊場】

秩父観音霊場の起源は、熊野修験に繋がります。

観音を背負い秩父の各所に配置し祀りました。

観音霊場は古の時代は神奈備山、武甲山を

中心に巡礼したと伝わります。

現在の札所とは順番も場所も異っておりました。

秩父の観音霊場に限らず、神仏は龍脈、地脈、

水脈、氣脈の守りであり、結界であったと推測されます。

秩父観音霊場31番観音院
修験の行場としての状況が色濃く残ります。

【結界】

秩父は山に囲まれた地域です。

周囲の山々は中央構造線、秩父帯からの

龍脈、地脈の大地のエネルギーが走り、

山々の水源から荒川に向かい水が注がれ

ます。その水は大きな水脈となり、

大河として関東平野から都に注がれます。 


人々の営みに欠くことが出来ないのが、

水となりますが、時には人の営みに大きな

災いともなります。

水の循環は森羅万象の法でもあり、

「龍」の力でもあります。

荒川は古の時代から人々にとっては

恵みでもあり、大きく災いとなる対象でも

ありました。

秩父の神仏や観音霊場は、荒川を静め調和する

ための結界だったかも知れません。

また、龍脈、地脈を司る神奈備山は、

その祈りの対象であり、山の神への信仰が

重要だったと感じております。

そのため、各水源や水脈に結界を張り、

神仏を祀ったと推測されます。

秩父観音霊場は場所と順番も移動して

おりますが、時代背景の状況に応じて

変化したのかも知れません。

因みに三峰山麓から長瀞までは

概ね観音信仰ですが、長瀞辺りから

不動明王の信仰が多く見られます。

これも場所の神仏に願う役割があったのかも

知れません。

長瀞の先(北部)に寄居と云う町がありますが、

中央構造線や秩父帯、特に信州浅間山から

の地脈と荒川の水脈、富士山からの氣脈が

交差する場所の様です。

その場所には、浅間神、宗像神、十一面観音

弁財天、聖天、瀬織津姫などが祀られております。

また、秩父より北部周辺地域は、上信越からの

利根川水系もあり、浅間山噴火の時に

大きな影響があった地域も含まれて

おります。

「火」「水」と云う大地や自然からの

恵みへの感謝、そして災いへの畏れに

神仏の信仰による守りや願いが現れるのかも

知れません。


ついでに

【秩父曼荼羅小屋】

北に中央構造線からの龍脈は、

曼荼羅小屋付近から龍脈は二本となり

南の盆地へと繋がります。

また、龍脈からの幾つもの水源は沢となり

水脈として、南の盆地、荒川へ注ぎます。

秩父曼荼羅小屋は北の龍脈分岐にあたり、

水脈が東を通ります。

道は西に走り、水脈と道、龍脈の間に位置し、

全ては南の盆地、荒川に繋がり、自然の力が

集まる場であると想像しております。


秩父は曼荼羅の様な天地自然の役割を

感じることのできる場所です。

神と仏と人が共生する地域とも感じております。

素朴な地域性ですが、多面的にとらえて戴き、

秩父の地、神仏を大切にして戴けると幸いです。


峯龍