日経新聞 YAZAWA 60 2009/9/5 vol.4 | 矢沢永吉激論ブログ

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全国矢沢永吉激論学會集団。


 68年、矢沢は広島を「捨てた」。高校の卒業式から20日後。18歳の舂。


「でもね、(捨てたのは)街じゃなかったのね。俺を取り巻いた過去」。


たどり着いた横浜で、人生初のバンド「ザ・ベース」結成に至る。


 メンバー5人でアンプ1台。持ち歌はわずか5曲。横須賀のキャバレーで「ハッタリ」を利かせた。1ヶ月契約。1万円。正確にはギャラでなく、お情けの定期券代だったようだが、音楽家として初めて現金を手にした「記念日」である。


 「1人(定期券に)1600円かかって、400円余る。400円掛けること5人で2干円余った」


 土砂降りの晩だった。「インスタントラーメンを10個ぐらいと、ホームサイズのコカーコーラを何本か買ったのよ。アパートに集まって、大きな鍋にぶっ込んで、ぐずぐず煮たわけだ。それを食べながら、コカ・コーラで乾杯したの」


 予算2干円。ささやかな宴(うたげ)の印象を受けてしまうが、男5人が月給を全額つぎ込んだという事実から、うれしさの度合いが測れよう。


 23歳の冬、キャロルでデビューするまでアマチュア時代は4年8ヵ月。夢の共振者である仲間との集合は、いつも同じ時間、同じ場所。


「(午後)2時にフェローでってね。喫茶店で集まってたの。コーヒー飲んで未来の話するわけ。音楽、バンド、だべってる」


 ある日、新メニューが目に留まった。


「コーヒーとバナナパフェの値段が一緒だったわけ。バカな店だよねえ。だったら、でかい方がいいやと思って。いつの間にか、コーヒーからバナナパフェに変わった」