YAZAWAの音楽哲学(1) FM STATION 1985/7/25
矢沢の音楽は日本でもっと評価されないとダメだよ―
――新作『YOKOHAMA二十才まえ』のレコーディングはどうでしたか。
Y▲ギターにマイケル・ランドゥが参加して面白かった。良かったよ。すごいウマかった。アイツは(スティーブ)ルカサーと中学んときから同級生でマブダチなのね。
ランドゥかルカサーかっていわれて、テクニックは互角なんだって。で、TOTOのオーディションを2人とも受けて、どっちも合格ってことになって、コインで決めた。これ、ホントの話らしいよ。彼とやれたのは収穫だったね。
――年々アメリカ録音の回数を重ねていくうちに、外人スタッフとのコミュニケーションは良くなってきていますか。
Y▲もちろん、それはある。82年に、オレがドゥービー・ブラザーズを日本に連れてきたときによからぬウワサがたった。
たとえば、矢沢が金をバラまいたとか、裏に大きなプロモーターがついてたとか、いったヤツがいるのね。なぜそういうことをいったかというと、信じたくないんだろうね。
矢沢が全部ひとりで話をつけて、飛行場行ってチケットを買ったり、ワーキング・ビザの申請をして彼らを連れてきたってことを。で、「矢沢さんどういうコネがあるんですか」って聞く。
それはアナタがいまいったように“年々”ですよ。最初は相手がよくわからなかったのが、1年、2年、3年とたっていくうちに、むこうも心を許すし、オレも心を許す。
一緒に女を口説く、酒を飲む。そしたらもうダチですよ。
――前作、『E'』に続いて、プロデュースにアンドリュー・ゴールドが参加していますが。
Y▲2人でケンカしながらやったよ。アンドリューには『PM9』(82年)のギターで参加してもらったときから、目をつけていたんだ。
彼ってさあ、ギタリストとしてはたいしたことない。うまいギタリストはゴマンといて、本人もそれは知ってる。だけどアイデアがスゴイんだ。それをいち早く見抜いたのは矢沢だよ。
ボクはいつも思ってんのね。矢沢は総合プロデューサーじゃなきゃいけないと思う。あるミュージシャンがオレにないカラーを持ってることに誰よりも早く気づかなきゃいけないし、見つけなきゃいけないんだ。
――今回は音的にはあまりウエストコーストっぽくないですね。
Y▲LAでレコーディングしてたんだけど、気持ちはまったくLAになかったと思う。LAもNYもロンドンも入ってるし、矢沢が歌えば、こりゃもうオリエンタルも入ってくるし(笑)。もうぐちゃぐちゃって感じ。でも、矢沢メロディ、矢沢節がよく生きているね。
ハッキリいうけど、矢沢のレコードは日本でもっと評価されないとダメですよ。これ、矢沢がいうから悪いんだよね。自分のレコードがよく思われたいと思っていってるんじゃない。客観的にフェアに見て、素晴らしいもん、やっぱり。
オレの音楽と日本の現状を照らし合わせてみて、もっと他のアーチストや評論家が評価しないといけないですよ。
――でも、自分の思いどおりに音楽ができるっていうのは気持ちよくないですか。
Y▲うん、最近すごく思ってる。サイコーよ。変なこというようだけど、オレはこの数年間、上ッ面をほっといて、ホントに中身だけをとってきたね。
つまり、日本でのヒットだとかTVだとかをどうでもいいと思ったわけでしょ。で、中身がほしかった。中身っていうのは何かっていうと、オレが自己陶酔できるもの、自分が幸せだと感じるものよ。
たとえば、絶対にいいアルバムを作るとか、絶対にいいステージをやるってこと。オレは、数年前にそれを発見することができて、ホントに幸せだと思ってる。だから、いまはホントにフラットよ。サイコーに気持ちいいね。
・・・続く