9月8日はサンフランシスコ講和条約署名から70年の節目の年であった。

 日本が国際社会に復帰し、戦後復興をする大きなもとになった。この時、当時の吉田茂総理は受諾演説で、次のように述べている。

 「日本はこの条約によって全領土の45パーセントをその資源とともに喪失するのであります。8,400万に及ぶ日本の人口は、残りの地域に閉じ込められしかも、その地域は、戦争のために荒廃し、主要都市は焼失しました。又、この平和条約は、莫大な在外資産を日本から取り去ります。条約第14条によれば戦争のために何の損害も受けなかつた国までが、日本人の個人財産を接収する権利を与えられます。斯くの如くにしてなお他の連合国に負担を生ぜしめないで特定の連合国に賠償を支払うことができるかどうか、甚だ懸念をもつものであります。しかし、日本は既に条約を受諾した以上は、誠意を以て、これが義務を履行せんとする決意であります。」

 ここで言う「全領土の45パーセントをその資源とともに喪失するのであります」という中に「千島列島の放棄、その千島列島には、国後島、択捉島が含まれている」ことを当時の国会答弁で、外務省の西村熊雄条約局長は述べている。

 東西冷戦時代は、ソ連が「領土問題はない」と言うので、日本は「4島一括返還」その上に「即時」と言った。

 1991年(平成3年)ソ連が崩壊し、自由と民主のロシアになり、エリツィン大統領は「北方領土が未解決の地域」と言い、当時の海部首相、中山太郎外相は、「4島一括返還」の旗を降ろし、「4島の帰属の問題を解決して平和条約」と政府方針を変えた。

 2001年3月26日、イルクーツクにおける日露首脳会談で、森喜朗総理は「歯舞群島、色丹島の日本への引き渡し交渉」「国後島、択捉島は日露どちらに帰属するか」の協議を提案し、プーチン大統領は持ち帰ってくれた。ところが、日本で政変が起き、小泉純一郎政権となり、日露関係は空白の10年へと向かった。その時、私もパージされ、世の中変わってしまった。

 2012年(平成24年)12月、2度目の安倍政権が誕生し、日露関係が正常な形になり、2018年11月14日シンガポールでの日露首脳会談で「56年宣言を基礎として平和条約締結交渉を加速する」で、日露両首脳は合意した。

 外交は積み重ねであり、相手がある。この点、日本の主張は一貫性があったかどうか、しっかり外務省は国民に説明してほしいものである。その場しのぎのご都合主義では問題解決には至らない。

 読者の皆さんにもお考え戴きたいものである。