今日の北海道新聞朝刊に「『対日戦勝』強調 ロシアの歴史修正不当」という見出しの社説がある。正確を期すため全文掲載したい。

ロシアが今年から「第2次世界大戦終結の日」を9月2日から3日に変更し、サハリン州などでおととい、記念行事が開かれた。
 9月2日は日本が1945年、米戦艦ミズーリ号の甲板で大戦の降伏文書に調印した日だ。
 翌3日は当時のソ連最高会議幹部会が対日勝利を宣言した日で、旧ソ連時代は「対日戦勝記念日」としていた。
 「大戦終結の日」の日付変更は、北方四島を事実上管轄するサハリン州が要請してきた。
 「対日戦勝」の意味合いを強め「四島は大戦の結果、ロシア領になった」との主張をより強く訴える狙いがあるのは間違いない。
 事実、変更後は四島などでそうした声が高まっている。
 旧ソ連が日ソ中立条約を無視して千島列島などに侵攻し、北方四島を不法に占領し続けている歴史的事実は、決して消えない。
 今回の対応は自国に都合よく歴史を修正していく意図が透け、認められない。
 9月3日は中国の「抗日戦勝記念日」でもあり、ロシアは中国と連携して「大戦の結果」を正当化する動きも見せている。
 政府は一連の身勝手な主張に対し毅然(きぜん)と反論し続けるべきだ。
 歴史の不当な修正を許せば、領土問題解決はいっそう遠のこう。
 ロシアの動きは「領土の割譲禁止」を明記した改正憲法の発効と合わせ、国民の愛国心を刺激し、プーチン政権の求心力回復に結びつけたい思惑が色濃い。
 ロシア国防省は今月、旧ソ連の対日参戦に関する特設サイトを開設し、対日参戦によって日本の軍国主義から極東を解放したとの主張を強調している。
 しかし四島の不法占拠は、領土不拡大をうたった大西洋憲章やカイロ宣言にも反する。
 ロシアはその事実を直視しなくてはならない。
 安倍晋三首相とプーチン大統領は首相が退陣表明した後の電話会談で、平和条約締結交渉を継続することを確認した。
 だが四島の帰属に関する協議については継続の確認をしたかどうか具体的に明らかにしていない。
 元島民の苦難の歴史を顧みれば、政権を引き継ぐ前に、領土問題の解決なくして平和条約の締結はないという立場をロシア側に強く伝えておく必要があった。
 次期政権は条約交渉を単に継続するのではなく、改めて日本の原則的な立場を示した上で事態打開を図るべきだ。


 この社説を書かれた方に言いたい。外交は歴史の積み重ねの上に成り立っている。そして外交には相手がある。
「四島の不法占拠は領土不拡大をうたった大西洋憲章やカイロ宣言にも反する」と言うが、カイロ宣言に何が書かれているのか正確にわかっているのか。
 1943年11月27日のカイロ宣言では「右同盟国の目的は日本国より1914年の第一次世界戦争の開始以後に於て日本国が奪取し又は占領したる太平洋に於ける一切の島嶼を剥奪すること並に満洲、台湾及澎湖島の如き日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還することに在り日本国は又暴力及貪欲に依り日本国の略取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし」と書かれている。
 日本が無条件降伏文書に調印した1945年7月26日のポツダム宣言8項では「『カイロ』宣言ノ條項ハ履行セラルベク又日本國ノ主權ハ本州、北海道、九州及四國竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」と書かれている。
 更に1951年9月7日、日本が国際社会に復帰したサンフランシスコ平和条約で当時の吉田茂総理の受諾演説で「千島列島」を放棄している。
その千島列島には国後、択捉が入っていることは国会で吉田首相、西村熊雄条約局長が認めている。
 「次期政権は条約交渉を単に継続するのではなく、改めて日本の原則的な立場を示した上で事態打開を図るべきだ」と最後に書いているが、ではお聞きしたい、どのような解決方法があるのかと。原則論を言っても一島も還ってこない。ロシアが「交渉しません」と言ったら終わりなのである。
この社説を書かれた人に言いたい。外交は運動ではなく、交渉である。運動で原理原則を一億回叫んでも一ミリも動かない。評論家的な話は懲り懲りであり、現実的解決しかない。
それは安倍総理がプーチン大統領とのシンガポール合意に基づく解決しかないのである。
 朝の便で千歳に飛び、北海道胆振東部地震厚真町追悼式に出席。亡くなられた方々へ心からの哀悼の意を表し、献花した。
 2018年(平成30年)9月6日午前3時過ぎ、震度7の大地震で37人の尊い命が失われた。
 あの時、3時20分に当時の小野寺五典防衛大臣から電話で「先生、北海道が大変です。自衛隊を出して対応しています」と言われた。
 すぐテレビを入れると地震の惨状が映し出されていた。あの時、小野寺大臣はイタリアローマで出張先から電話をくれたのである。
 東京にいた私はあの電話がなければ寝ていた。小野寺大臣の政治家としての心配りに感謝したものである。
 復興・復旧は進んでいるが、いまだ道半ばである。しっかりサポートして参りたい。

北海道胆振東部地震厚真町追悼式