11月25日、安倍総理が総理公邸でフランシスコ教皇と会談した際の挨拶について、ハイレベルのさまざまな方から「胸打たれました」「安倍総理の心のこもった挨拶に感銘しました」等々の声である。
 私も安倍総理の挨拶で感じたところがある。次の部分である。

一枚の、写真があります。ところは、長崎近郊のどこか。時は、1945年、原爆が炸裂(さくれつ)した後の、恐らく夏から秋に変わる頃です。写っているのは、10歳くらいの男の子です。その背中に、力なく瞑目(めいもく)しておぶさるのは、年下の弟のようです。少年が裸足で、直立不動、気をつけの姿勢で立つ、その場所は、焼き場なのです。おぶった幼な子は既に命が絶えていて、彼はその子を、土へ返しに来たのです。
 この写真を教皇は、カードにされた。『唇は、噛(か)み締め続けたせいで、血をにじませている。この子の悲しみを表すものといっては、ただそれだけだった』と解説を加え、『戦争がもたらすもの』いう言葉と署名を付して、広く配布されました。昨日、長崎でなさった祈りの場でも同じ写真を使われています。
 私は、言葉を失います。原爆がもたらした、悲しみと、苦痛の重みに。それを思いやり、大きな心を寄せてくださる、教皇の、祈りの深さに。日本とは、唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向け、国際社会の取組を主導していく使命をもつ国です。これは、私の揺るぎない信念、日本政府の確固たる方針であります。私たちはこれからも、核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら、対話を促す努力において、決して倦(う)むことはないと、ここに申し上げます。

 「焼き場に立つ少年」の写真をローマ教皇は昨年1月「戦争が生み出したもの」という言葉を添えてカードにして世界中に広めるよう指示された。
 安倍総理がローマ教皇の平和に対する強い思いをしっかり受け止めての見事な対応だったと称賛したい。
 16時から東京大地塾。「ローマ教皇来日とGSOMIAについて」というテーマで佐藤優さんからお話を戴く。
 前段で私から「焼き場に立つ少年」について話させて戴いた。私自身、心打たれる写真であり、出席者に安倍総理の挨拶を披露した。国会議員も是非とも一読してほしいものだ。「桜を見る会」についても私の見解、認識を述べた。
菅官房長官は「安倍総理の判断で来年は中止し、招待者の基準、人数、さらに透明性について検討していく」と明言しているので、その結果を待つべきだと話す。
 「桜」より、もっと国会でやるべきことがあると思うのだが。読者の皆さんはいかがお考えだろうか。

※東京大地塾