昨日、安倍総理は沖縄の玉城デニー知事と会談している。翁長前知事との初会合には時間がかかったが、今回は2週間足らずでの実現である。安倍総理の沖縄に対する思いが伝わってくる。
 玉城デニー知事は普天間飛行場の名護市辺野古への移設に「反対する。知事選で基地建設は認めないとの民意が示された」と述べているが、知事選挙で「辺野古」について議論が戦わされたであろうか。一方通行ではなかったか。
 選挙での勝ち負けはいろいろな要因があり「辺野古」だけで勝利したとは私は思えない。
1対1の勝負の時、何よりも問われるのは候補者の資質である。残念ながら与党が推薦した佐喜真氏は、市長までは良かったが、知事候補にはむいていなかったと直感的に思った。
今回の知事選挙は翁長前知事の奥さんの勝利である。沖縄には3日戦争という言葉があり投票日前の3日間が勝負という意味だが、翁長夫人は5日前から表に出てきた。各種会合での挨拶は間違いなく県民を引き付けた。
日本では弔い選挙はやり方一つで大きな流れをつくれる。絶妙なタイミングでの登場、選挙広告、運動は見事という他ない。
この点、玉城デニー知事も沖縄の民意は何だったのか冷静に考えてほしい。私は翁長前知事の死去に対する哀悼の誠を県民は示したと受け止めている。
 「辺野古反対」というなら、世界一危険な普天間飛行場をそのままにしていてよいのか。
当時の橋本龍太郎総理が「清水の舞台から飛び降りる」決意でアメリカと交渉した結果、返還合意となったのである。
ただやみくもに「反対」というのではなく、世界一危険な普天間飛行場を一日も早く無くすことが沖縄のためになることを考えて、今後とも政府と話し合いを進めて行ってほしいと願ってやまない。
 昨夜、名古屋から戻り、今朝は帯広行きの一便に乗り、10時から帯広市の隣幕別町で「第22回十勝馬まつり」に出席。私が組合長を務める十勝軽種馬農業協同組合が主催である。秋晴れの下多くの馬愛好者が家族連れで来て下さり、有難い限りだった。
開会の挨拶の後、足寄に向かい「足寄弾薬支処及び足寄分屯地創立25周年記念行事」に出席する。
 私が衆議院議員になってから自衛隊誘致活動を足寄町議会、商工会一緒になって運動しての成果である。
 分屯地の入り口にある私の揮毫(きごう)した「平和・防衛」の記念碑を見ながら、この25年更にさかのぼる年月を感慨深く振り返った。

※第22回十勝馬まつり

※足寄弾薬支処及び足寄分屯地創立25周年記念行事
※足寄分屯地の入り口にある私の揮毫(きごう)した「平和・防衛」の記念碑