台風14号が関東付近に上陸し、その被害が心配されたが、千葉県から東にそれて行き、直撃はなくホッとした。
 昨日、15時羽田発で沖縄那覇行きの予定だったが、台風の影響で1時間15分遅れでの出発となった。
 那覇で開かれたギマ光男参議院議員のパーティーで挨拶した後、18時45分過ぎ、翁長雄志知事が亡くなったとの連絡が入った。67歳、病(やまい)とはいえ早すぎる旅立ちである。
 翁長さんとは様々な出会いがある。お兄さんとの関係から始まり、翁長さんが市議・県議と歩む中で1998年、11月の沖縄知事選挙で稲嶺恵一氏を擁立し、県政奪還を果たした時、翁長さんは自民党県連幹事長、私は小渕内閣の官房副長官だった。いろいろ打ち合わせをしたことが想い出される。
 翁長知事の最後の仕事は普天間移設の辺野古基地問題承認撤回だった。
 この件では、私も環境整備のため、1995年2月、村山富市総理がクリントン大統領との会談で決めた県道104号線越え155mm榴弾砲実射訓練をどこも受け入れないので、1996年12月、私の地元別海町矢臼別演習場に落選覚悟で受け入れた。橋本龍太郎総理が安堵した顔を想い出す。
 さらに1997年12月、誰も試みなかった学童疎開船対馬丸の発見をし、沖縄の皆さんに寄り添った。そしてその12月末に比嘉哲也名護市長が普天間飛行場移設を決断してくれたのである。
 その時の移設先は名護市のキャンプシュワブの一部を使い、山を平らにして滑走路を作る案だった。
 それが小泉政権になってから沖合へと動いていった。砂利利権とよくいわれたものだが、あの綺麗な海、ジュゴンのいる海を何故と思ったものである。そして今日(こんにち)に至っているのだ。
 今朝8時過ぎ、翁長知事の自宅に弔問に伺った。眠っている様な安らかな表情で、自分のやることはやったというお顔だった。
 奥様や側近の方と色々お話したが、何か大事な判断をする時は、佐藤優さんに相談し、助言をいただいていたとのことである。
 昨夕も亡くなる前に佐藤さんには連絡したとのことだった。
 私も佐藤さんから翁長さんとのことはよく聞かされていたので、納得したものである。
 その佐藤さんは琉球新報に「最期まで沖縄人の代表」と追悼の言葉を述べている。
 「沖縄のまぶい(魂)が彼を突き動かした」と称えている。
「佐藤さんが知事候補に最もふさわしい」と言ってくる人もいる。
 地元メディアは来月の知事選に向けて選挙モードである。沖縄の自民党はすでに候補予定者を決めている。オール沖縄がどういう人を出すのか注目される。
 翁長雄志知事のご冥福を心からお祈りしたい。
 人生、計算通り、思い通りいかないものだと世の無常をしみじみ考えるものである。