今日の日本経済新聞40面「交遊抄」に「北海道の父」(中村太一)という記事があった。全文紹介したい。

 忘れもしない1997年9月12日、総理府大臣室。政治家だった父・中村博彦の名代として、鈴木宗男氏の北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官就任のお祝いに徳島から東京に伺った。
 大学を出たての青二才には余りにも不似合いな場所。しかし来客であふれる中でも笑顔で私を遇し、大臣席に座らせて記念撮影までしてくださった。
 情に厚く、まず人を気遣う方だ。2013年に父が急逝した折には、いの一番に徳島に入り、目を真っ赤にして棺の傍らに立ち、5600人の弔問客一人ひとりに深々とお礼をする姿が忘れられない。父を失った悲しみと先生の誠実さが相まって、ただただ泣けた。
 家族への思いやりも格別なものがある。2年前に夫妻で徳島の秘境・祖谷に観光に来られた際、かずら橋の見学などにお供した。
 聞けば、祖谷観光は奥様のたっての希望とのこと。忙しい中でも、周囲への気配りを忘れない姿勢は見習わなければいけない。
 父の後継として社会福祉法人健祥会の理事長に就いてからも、いつも「おやじを超えろ」と励まされている。
 全てを我が事のように喜び心配し、何かあれば徳島まで駆け付けてくれる。
 私にとって、まさに父のような存在だ。(中村太一・徳島商工会議所会頭)

 中村太一氏は33歳で徳島商工会議所副会頭に就任し、昨年42歳で会頭に推挙された人物である。
 日本を代表する社会福祉法人健祥会の理事長として、老人福祉の面では全国にその名を知らしめている。
 人間関係を大事にしてきた私だが、そんな私を慕って下さり、心から感謝したい。
 これからも良き親子関係で生きて行きたいと心するものである。