朝日新聞朝刊2面「日曜に想う特別編集委員、星浩(ほし・ひろし)さんの『秘密保護法案、あの頃の自民なら』」という見出し記事がある。
 星さんが取材経験を踏まえて、28年前の国家秘密法(スパイ防止法)の廃案に至る経緯の中で、宮下創平先生と星さんとの人間関係に触れられている。
 宮下創平先生は、私の師匠であった中川一郎先生が昭和54年の総選挙で、よく長野に応援に行ったものだ。あの時の選挙で大蔵省から宮下先生の他に、長野県から道正さん(選挙時は増田)、大分の秋吉さん、3人が出られ、物心両面で中川先生は応援したが、当選したのは宮下先生だけだった。
 今日のコラムの中で、宮下先生が「『官僚の経験を踏まえて、役人は大臣の目をすり抜けるのが得意だ。政治家はよほど目を光らせていないといけない』スパイ防止法案については、『秘密の範囲が曖昧で筋が悪かった』と振り返っていた。まさに秘密保護法案に通じる点だ。秘密を実質的に決めるのは官僚だった」と書かれている。
 今国会で審議されている特定秘密保護法案とかつてのスパイ防止法を重ね合わせると、この宮下先生の考え・認識を国会議員、特に与党の議員はよく耳を傾けるべきでないか。
 星さんの的を得たタイミングのよい指摘に私もうなずくものである。
 昨年の解散から、昨日で1年が過ぎた。あの党首討論で野田首相が安倍自民党総裁に向かって「明日にでも解散しましょう。定数削減をやりましょう」と言って解散し、自民、公明、民主党で、次期通常国会で定数削減をすると合意した。それが1年経っても、大胆な定数削減の議論はなされていない。なんという事だろうか。
 「明日にでも解散しましょう」と啖呵たんかを切った野田首相は、あの時「頭に虫が入った」としか言いようがない。政治家の基礎体力の大事さを示す場面であったとつくづく思うものである。
 朝、6時55分発で女満別空港に飛び、北見市内挨拶廻り等をし、13時30分から阿寒湖畔阿寒グランドホテルあかん遊久の里鶴雅さんで恒例の釧路管内女性部の一泊研修会を行う。熱心な方々が大勢来て下さり、有難い限りである。
 30年前から、毎年鶴雅さんにお世話になっているが、やはり人間関係は尊いものである。