注目された堺市長選挙は大阪都構想に反対した現職が順当に勝利した。日本維新の会傘下の大阪維新の会新人に大差をつけての圧勝である。 大阪市長 橋下日本維新の会共同代表の責任問題、求心力低下、党基盤が揺らぐのではといろいろ報道されているが、そもそも論としてメディアは橋下徹氏を過大評価しているのではと、ふと思うものである。 政治家として実績があるわけではなく、たまたまテレビのバラエティー番組で名前が売れただけで、それ以外なにか政治家としての実績があっただろうか。橋下氏のマスコミの扱いを見ながら12年前、平成13年当時の田中真紀子氏の扱いとダブルものがある。政治家同士の間では田中氏は朝の会議には全く出席もせず勉強する姿勢が見えなかった。しかしマスコミは圧倒的に習礼の総理ともてはやした。小泉首相が誕生し、次期首相は田中氏とマスコミはあおった。国民もそれに乗った。しかし基礎体力、政治家としての基本が出来ていないものだから外相になってもトンチンカンな対応で、9か月で小泉首相に更迭されてしまった。 小泉首相のその時の判断は正しかったが、起用したことじたい国益を損なうことであった。 12年前の田中氏を想い出しながら橋下徹氏とオーバーラップするのは私だけだろうか。イメージ・ムードで政治家を判断してはいけない。政治家としての「魂」を持った人が真のステーツマンであることをお互い認識したいものである。 午前中、帯広市内で仕事をし、午後の便で上京。朝夕、ひんやりする北海道だが、羽田に着くとまだ夏である。これから冬にかけてこの気温差と向き合っていかなくてはならない。この気温差が政治の温度差ともなっている。