2017年もあと2日足らずとなってしまいました。
まだゴルフ観戦でうどんと京都が丸々残っているのですが…
いつものように書いていると到底終わらないので
帯同とか観戦とかの細かい話は抜きにして、怪しい活動と観光だけ載せてクリアすることにします。
なお、うどんでの帯同はほぼ曽田千春P(両日ともハーフ程度)、
京都では2日間とも稲葉七海P(観戦可能ホールほぼ全て)について回りました。
うどん
まずは前日観光から。
愛媛県西条市・保国寺にある、石川通清の墓。
高峠城主で、三好長慶の娘を娶る。
伊予国河野家の家臣でありながら、長慶の伊予侵攻では道案内を務めた武将です。
新居浜市・慈眼寺にある、金子元宅と真鍋六人衆(家綱・兼孝・行綱・政綱・兼綱・亮綱)の墓。
豊臣秀吉の四国攻め『天正の陣』で、1585年小早川隆景に金子城を攻められ討死しています。
同じく新居浜市のあかがねミュージアムでは
マンホールカードをGet
川之江市の川之江城
復元天守なので、中には入らず
香川県観音寺市にある銭形砂絵
アップ
さらにアップ
「砂浜に銭の絵って しょーもな」
と小馬鹿にしつつも見に行ってみたら、意外にすごかった
当日は雨が降っていたのですが、少々の雨では型崩れしないんですね
そしてうどん2日目。
チャリティフォトは台湾選手だけに申し込み
唯一この日撮れたのは、2015年台湾賞金女王の~
クォ アイチェンP!(初)。
台紙左にはサインを入れてもらえるスペースがあるのですが…
大会側の強力な締め付け(チンピラのようにスタッフを巡回させ、恫喝のごとく選手にサインを止めさせる)によって、サインを入れてもらうことすらできず白紙のまま。
「チャリティサインを申し込む人から苦情が出るから」などという供述をしていたようですが…
フォトを撮ってる人間はそれだけ時間と労力を使って申し込んだのだから、それを説明して理解を求めるのも運営側の仕事では。
香川県民にそれで苦情を言うような(ピー)はいないだろう、ということに疑問を持ってしまうような対応。
それまでに貰おうとした人がいなかったのか、辛うじてクォ アイチェンPにはサインを頂けました
他に石川夢香A
手束雅Aとアマからはサインを
この日申し込んでいたもう1人、ウーシャオリンPは受付の前で待機していたのに気づかなくて撮れず
気づかなかったというのがアレですが
他にも傍にいて気づかず撮れなかった方がいたので、せめて声かけはちゃんとやって頂きたいところ。
今年同様ほかのステップでもチャリティフォトをやるようなら、クソ煮込みうどんは回避で良いかも
と言いつつ、台湾選手次第でまた来年行っちゃうのでしょうか
狩野英孝最終日。
降りしきる雨が影響したのか?驚くほどフォト待ち列の人数が少なく、なんと7選手に申し込み
1人目は~
新田彩乃P!(4回目)
安定の新田さんですが、ユピテルの週はアース・モンダミンに出ていたので、今年のフォトは初めて
2人目は~
三宅百佳P!(初)
枠的に厳しいと半ば諦めていたのですが、雨の恩恵で初フォト
3人目は今年の台湾賞金女王~
ミン・リーP!(初)
日本語が上手なのにびっくり
ちょっとした話をするくらいなら、全く支障はありませんね
4人目~
曽田千春P!(4回目)
万が一を考えてここで絶対撮っておきたかったのですが…
まさか本当に来年出場できなくなるとは
5人目は~
東葵P!(3回目)
笑顔がいいっ!
東さんがかわいいという話をゆうさんとした…のはここじゃなくて、ごうぎんだったでしょうか
6人目は台湾賞金ランキング2位の~
チェン ユージュウP!(初)
「出てこないので」と言われるばかりでなかなかやって来ず
この大会は選手に伝えていない前科がたくさんあるので、冷や冷やしながら待っていると…
3組後の、次に撮る選手の直前でようやく登場
ラスト7人目が~
クォアイチェンP!(2回目)
この人と撮りたくて来たので外せないっ
この日は私たちのグループがフォト列の先頭だったのですが、みんな「クォアイチェンと撮りたい!」と言いながら、誰も申し込まず
1選手3組なのに、2周目でも取れたような…?(2日目と混同しているかもしれません)
申し込んだ3名にクォ アイチェンP自らボールを手渡していました。
良い人だ…
大会がまともなら、来年の出場を心待ちにするところよ
そして京都。
こちらも前日観光から。
大阪府太子町に着いたところで仮眠
起きて周りに見るところがないか探してみたら意外なビッグネーム(?)を発見したので、急遽予定変更
遣隋使でおなじみ、小野妹子の墓所
小野妹子ちゃん!><
「ぉお゛!?妹子はワシじゃがの~」(←なぜか広島弁)
女性天皇と言えば真っ先に名前が出る?推古天皇(と竹田皇子)陵(山田高塚古墳)
続いて叡福寺へ。
こちらは国指定重要文化財の多宝塔。
聖霊殿も同じく国重文ですが、間違えて金堂の方を撮っちゃったので画像はありません
さらに一番奥へと進んでいくと、聖徳太子 磯長墓(叡福寺北古墳)
「ああ、太子町の名前って聖徳太子から来てたんだ!」
ここに来てようやく気付いたよ
脇には後嵯峨天皇・皇后分骨所がありますが、近づけないようになっています
叡福寺では御朱印をいただきました
続いて、羽曳野市にある、源氏三代の墓へ。
源頼義の墓所
源義家の墓所
源頼信の墓所
こいつ墓ばかり行ってるな?
何も否定はできません。特に今回は
ここでちょうど撮影画像の数が半々になるので、残りは次回へ続きます