わたしの「霊場巡り」時代(2)
三森至樹
そして影向寺の門前から、非常に急な狭い下り坂に入る。そこをやり過ごすと道は平坦になり、数百メートル続いていく。その途中左手には能満寺という寺が現れるが、そこは目的地ではないので、スルーする。やがて道は中原街道にぶつかる。そこを渡ってさらに先へ行く。道は相変わらず細い。左右に民家やアパートが点在する。そこからさらに道は細くなり、急な上り坂を数十メートル行く。すると、晴れた日には富士山が遠くに見えるところに出る。そこで道を左に折れて、また非常な上り坂を苦労して上って行くと、小さな古墳が現れる。子母口(しぼぐち)富士見台古墳だ。これがわたしの第二の霊場だ。半分削られて、電柱が立っているが、古墳の形は保っている。ここには日本武尊(やまとたけるのみこと)の妻、弟橘樹(おとたちばな)姫にまつわる伝説がある。なんでも、日本武尊の一行が、船で海を渡ろうとした時に、海が荒れて船が沈みそうになった。そのとき弟橘樹姫が、海の神を鎮めるために自ら人身御供として入水して亡くなった。その姫の櫛が海岸に流れ着いたので、それをご神体としてこの富士見台古墳に埋葬したという話だ。この弟橘樹姫の櫛の話は、外にも何か所かで言い伝えられているそうだが、その話は止めておこう。
この古墳をぐるっと一巡りして、もと来た道を下っていく。そこから二百メートルぐらいだろうか、橘樹神社が現れる。中くらいの大きさの、その由来を知らなかったら、あまりぱっとしない、どこにでもありそうな神社だ。これがわたしの第三の霊場だ。しかしむしろ、この神社は富士見台古墳と一体のものだと考えるなら、第二の霊場の古墳の付録と言った方が良いかもしれない。確かに、この神社は富士見台古墳を遥拝するような向きに建てられている。
その神社を離れると、また上り坂になり、その頂上付近には子母口貝塚という、縄文時代の遺跡がある。その貝塚からは、下の方に街が広く見渡せる。しかしこれも、わたしの霊場とは考えていないから、無視して道を下りていく。その道の先には、また市民プラザ通りの大きな道路が現れる。その市民プラザ通りを通って、武蔵新城の駅に行く通りに入る。駅を通り抜けると、後は北へと道をたどり、自宅にたどり着く。
こういうのが、わたしにとっての最初の霊場巡りのコースだった。