「武道の本質」は、単なるスポーツとかではなく、競技でもなく、
技術(実践)とかけ離れた精神論の世界でもありません。
そこに在るのは、積み重ねて深化していく技術であり、
万象万物に通ずる心の在り方であり、生きる支え,軸です。
年齢,体力等を超え、自らの実践により証明できる「極意の世界」が、ここにあるのです。
それが、富樫 宜資十段(宗主会長)が人生を懸けて築かれた無門会空手の真価です。
「汝の足下を掘れ、そこに泉湧く」という言葉があります。
物事の本質・真理は外にではなく、自己自身の内に求めよという意味です。
それには「気付く」ことが大事で、気付きによって考えが深まり、
行動が変わり、その人の生き方が変わる。
つまり、人間は気付くことによってのみ、自分を変えることができるということです。
人により、立ち位置も違うし、置かれている環境も違います。
何かをやるにおいても、(環境が)満たされている人もいれば、そうでない人もいるでしょう。
しかし、満たされているから出来る、
満たされていない(環境が悪い)から出来ないで決めつけたら、
そこに成長,創造はありません。
自分に与えられている立場に気付き(それを受け入れ)、
そこでどう考え、どういう行動をしていくのかが、
「泉が湧く」かどうかということです。
30年数年前に、無門会空手を九州でやっていこう!と決意したときは、
まわりに人は皆無でした。
稽古相手もいない・・大会に行くのもいつも一人・・おまけにお金もない(笑)・・
しかし、志(夢)だけは高く掲げて、
今自分に出来る最大限のことを積み重ねたつもりです。
5年・・10年・・15年と、足下を掘り続けた結果が、
泉が湧いてきて、夢が現実のものとなりました。
こうして歩んできた道が、自分の空手道であり、人生の哲学となっています。
無門会空手の稽古は、自分の人生に寄り添って支えとなります。
そして必ずや大きな力となり、生きる軸として寄与していくと確信しています。