お袋の死後、僕は不安神経症になってしまう。当時はそういう病名であったが、今ではパニック障害と呼ばれる病気である。それに伴って、それまで眠っていた僕の狂暴性が徐々に顔を現し、理不尽なしうちを受けた時、僕は相手に対し殺意を抱くまでになっていた。

 一度だけ、建設現場の朝礼で、百人ちかくいる様々な業種の職人さんの眼前で、所長をサバイバルナイフ、手斧で、一瞬のうちに殺してしまおうと、最前列に陣どったことがあった。原因は間組にあった。
 金銭的なトラブルと、仕事が全くできない無能な中年所長の段取りの悪さ。土木屋がマンション建築に手を出したから無理があった。
 あげくの果ては、工期が間にあわないという理由で、クロス屋、タイル屋、電気、水道工事、大工工事と、僕のシステム・キッチン、システム・洗面化粧台の取り付け工事が重なり、メチャクチャな状態になる。
 床にモルタルを塗りはじめ、外の足場まで取り外して、いったい個々の部屋にどう入ってよいのか解らなくなる。工具を持って、空中を飛んで仕事をやれというのか。
 呆れ果てたのは、前日の職長会議で、「それぞれ業者どうし、協力し合ってやってくれ、私は今後指示をしない」ときた。積もりに積もったウップンが、殺意に変わるのに時間はいらなかった。
 翌朝、僕は女房と子供たちに、「お父さんは今日人を殺すよ、刑務所に行くかもしれない・・・・・・・その時はごめんね」と出かける時に、静かに言った。決意が固まっていたので、家族の反応を確認することなく営業車に乗り、現場に来たのだった。
 僕は、余りの所長の無能さに、数日前から「おいお前!服部!」 
 「おい馬鹿!」
 「今日の仕事はどうすすめたらいいんだ!」
 と、直接大声で面罵し、所長の姿が見えない時は、他の業者に「あの馬鹿はどこにいっている?」と大声で訊く。

 この日の朝礼に、工具がつまった腰袋をつけ、最前列に仁王立ちしていたから、他の職人たちは、僕より一歩退がっていた。こういうことには敏感な人たちだから、止めようという気持ちもない。
 僕は所長を睨みつけ、彼の第一声を待った。彼の発する「おはようございます」が、行動を起こすタイミングだった。しかし彼はなかなか口を開かない。只ならぬ雰囲気を察したのだろう。建築現場は静寂に包まれる。
 僕はほんの一時の短い時間に、少し冷静になり、行動を起こした後の、家族の顔を想い浮かべる。テレビや新聞等でニュースが流れた時に、そのあと、家族たちはどのような思い、仕打ちを受けるであろうか。僕は唇を噛んで、ゆっくりと腰袋をはずした。
 かろうじて踏みとどまることができたのは、女房や子供たちの泣き顔が浮かんだからである。

 「おい服部! 命びろいしたな」
 僕はそう言って、自分の職人たちのいる後方に腰袋を持って退がり、代わりに、信頼を置いている、二番目の職人頭の佐藤君に職長代行をしてもらった。
 10年近く一緒にやっていた孝夫君は、この現場で気管支炎になり、リタイアして自宅で静養していた。
 後にも先にも、これほど人を憎んで、本気で殺人を決意させた人物は、今後も現れないであろう。18年後の僕の、一つのエピソードである。