まず、この曲を聴いて下さい。



植村花菜さん。

 先日、テレビのワイド番組で、はじめて植村花菜(かな)さんのこの曲を聴きました。

 とっても印象深い曲で、番組内で10分近いこの曲を歌いきりました。

 それまで、全く知らないシンガー・いやアーチストさんでした。





僕の祖母。イトおばあちゃん。

 母が僕が22歳の時に亡くなり、その翌年に祖母も母のあとを追うように、翌年亡くなりました。

 母が脳死して、イトおばあちゃんは気丈に振舞っていたけど、体をブルブル震わせ、お医者さんから病室の外にある、長椅子に横になるように言われて、それでも立ち続けていた、ばあちゃん。

 母の心臓が止まって、次々と集まってきた親戚の人たち。

 みんな泣く中で、ばあちゃんだけは泣かなかった。残念ながら、僕は母の亡くなる直前に、ご近所の方々に報告する為に、母の死を看取っていなかった。その場を、余りに辛いので、去りたかったというのが事実。

 病院は、家から自転車で5分ほど。

 だから、ばあちゃんが泣いたかも知れないのに、見ていない、というのが事実。

 花菜さんの歌われるばあちゃんと、全く違うばあちゃんだった。

 母の死因は脳梗塞だったけど、糖尿病を長く患い、腎不全から脳梗塞。
 この時代には、人工透析の研究が始まったばかり。
 医学には全く無知だった僕。
 インシュリン注射を打ったり、打たなかったり。でも、無知な僕は、母にアドバイスすらできなかった。

 それからは、ばあちゃんの住む、僕の育った今はなき、いつ潰れるか分らないボロ長屋に、できるだけ泊りに行った。

 アパートとはとても呼べない、旧社宅を改造した長屋。

 そして、平穏に時が流れると思ったら、翌年にばあちゃんはお袋と同じ糖尿病の悪化で、武蔵野のある病院に救急車で運びこまれる。
 妹からの会社への電話連絡で、急いで病院へ。

 ばあちゃんの目は、お袋と同じように、真っ白に濁っていた。

 不思議と意識ははっきりしていて、会話は普通にできた。

 でも、その救急病院はひどい所で、僕と下の妹(まだ高校生だよ)の見ている前で、いきなり喉の切開。

 病室が満室で、それも手術室じゃなく廊下での呼吸器とりつけの為に。普通、「向こうにいってなさい」ぐらい言うだろうが。

 祖母はその日に亡くなった。

 『ばあちゃんから借りたお金、返さなくていいんだ』

 3万円借りていた。ふとそんな思いが浮かんで、ものすごい罪悪感が浮かんだ。
 自分で自分を追い込む。
 
 余りの悲しさから、祖母の葬儀が終わったあと、僕は火葬場に行けなかった。

 荼毘にふされて、遺骨を拾う。たぶん火葬場に行ってたら、自分が狂うと分っていたから。

 みんな不思議がったけど、それが事実。

 僕のパニック障害の、最悪の再発が、待っていたから。



前略

 花菜さんありがとう。

 あなたの歌で、僕の心がようやく癒された。

 「全然平気な僕だけど・・・Ⅱ」は、お袋の死の描写から始まる。

 ブログに書くかは分らないけれども、作品として、自分史として、原稿には残しておくつもりです。

 たくさんの、いい曲を書いて、歌って下さい。

 心から、いい曲だと思います。

草々