2013年2月12日、僕は石垣島にいた。ホテルの部屋には早くに戻っていたが、夜になってから沢山のサイレンが鳴り出した。ずっと監視されていたので、そのような音も嫌がらせの一種かと思っていたが、サイレンは更にうるさくなり、部屋中が赤色灯に照らされて真っ赤になった。

 

結果として、それは嫌がらせではなかった。ホテルのすぐ隣の岸壁から一台の車が海に飛び込み、運転していた男性が自殺したからであった。どのような捜査をしているまでは確認していなかったが、車を引き上げ終わるまでずっと警察と消防の車両が集まっていたため、しばらくの間、部屋の中は真っ赤な赤色灯の色で埋められていた。

 

 グアムのタモンで殺人事件が起こったのはこの日ある。そして、時差も1-2時間以内であり、この二つはほぼ同時刻に起こった案件だった。

 

 この時、僕はスパイから逃げている最中だった。逃げていると言っても、周りには公安やCIAを含む多くのスパイが常時おり、逃げているというよりは彼らが工作し難い場所を目指して移動しているという方が正確だと思う。

 

 それは妄想ではなく、現実である。CIAがスパイになるように勧誘したのが直前の11月であり、それを断った後に、彼らの工作がすぐに終了するかも知れないと思い、時間をやり過ごすために東南アジアに行った。当時の香港の部屋はスパイに囲まれており、そこにいれば、精神が耗弱するまで工作が続けられると思っていた。

 

しかし、東南アジアに逃げても工作は続き、その過激度も増してきたため、僕自身がよりコントロールし易い場所を目指して南西諸島に向かった。12月の終わりに奄美大島に入り、そこから南下して1月終わりには八重山に着いていた。そして、その日は石垣島に泊まっていた。

 

 スパイはいろんな理由を付けて、僕を監視・捜査していた。その中に、ドラッグの密輸という話があった。2009年にグアムに行ったことがあり、当時は香港に住んでいたため、香港からマニラを経由してグアムに向かった。それはドラッグの密輸業者が使う航路らしく、その結果としてフラグが立ったと彼らは説明していた。僕は2012年11月になって、そのような話を聞かされた。

 

 そして、その数ヶ月後の2013年2月当時では、依然として、その馬鹿げたスパイの主張は続いているはずだった。

 

 ホテルの傍で自殺があったと知ったのは、実は翌日だった。どんな案件があったのかと思って現地の新聞の朝刊を確認すると、それが記事になっていた。それまでも僕の周りではスパイ工作の結果として亡くなったと思われる人が数人いた。そのため、岸壁から飛び込んだという記事を読みながら、この人も工作の結果として追い込まれたのかも知れないと思っていた。ただし、僕は直接的にその男性を知らず、この事件にどのような意味があるのだろうと、その翌日中ずっと考えていた。

 

 晩ご飯の時間になって、テレビを見ているとグアムで殺人事件があったと報道していた。一瞬、そのテレビは嘘ではないかと疑ってしまった。グアムのドラッグ密輸の話はずっと頭に残っており、グアムで数人が殺された話と、前夜にホテルの傍で車が飛び込んだ話のいずれもが自分に関係しているように思えた。

 

 それまでであれば、そのようなことが起きても偶然の一致だと思っていた。しかし、スパイがどれくらのことを出来るかは既に理解しており、彼らがその殺人事件も引き起こしたように感じていた。そして、僕は彼らに脅迫されているように感じていた。問題はこのような現実と妄想の境目が分からなくなっているような話ではなく、更に違う問題にも繋がっていた。