CIAはそもそも僕をスパイとして雇用しようとしており、日本の公安も同様の意思を持っていたはずである。その一環なのか、それとも単に憎かったのか、警察には何度も僕を犯罪に嵌めようとしていた。いずれにせよ、彼らは僕の弱みを作ることには成功せず、また、僕もスパイになりたいとも全く思わなかったので、彼らの勧誘は拒否していた。

 

しかし、彼らがその過程で行った工作や、その他の社会工作の一部が既に露見しており、僕がその完全なる証拠であり、証人であったため、彼らはこのまま僕を放置できなくなっていた。その結果、スパイ工作は更に過酷になり、最終的にあからさまな形で電波工作が行われるようになった。

 

 それが2013年の春で、僕が北海道に行ってから一ヶ月ほど経ってからのことだった。最初は声が聞こえるようになったが、その時は電波だとは思わず、何らかの形で声を届ける方法があるのだと思った。しかし、その後、体の自由を完全に失うようになり、人間の脳を外的に操作する方法論の存在に気付いた。

 

 そして、そのような体の操作を失う話は以前にも聞いたことがあり、全ての話の辻褄が合うようになってきた。とは言え、その最初の二日間はホテルの部屋の中を何度も何度も往復しながら走らされ、恐怖というよりは諦めに近い感情に陥っていた。自分の体のコントロールを取り戻そうといろいろ努力したが、その度に外的な力が強くなり、また走り出すという循環に嵌まっていた。

 

 当時、感情をコントロールするために意識を完全に集中させる禅の前半段階の瞑想をずっとやっており、脳をそのような状態に持って行けば、外的な力は遮断できた。ただし、そのためにはほぼ何もできない状態を続ける必要があり、それをずっと続けることを諦めた。

 

 このような状況下で時々強く恐怖は感じていたが、ずっと工作を受けていたせいもあり、また脳の意識を操作すれば、工作からある程度逃れられることが分かっていたため、彼らに屈服するということはなかった。また、このようなことが起こると聞いていたのも助けになっていた。

 

その昔に体が外部からコントロールされる話を聞いたときはそんなはずがないと思っていたが、ここまでのスパイ工作の過程で、そう話していた友達がスパイ側で働いていることを知り、その全く同じ工作が僕に対して行われているため、昔からスパイにはそのような技術があることはすぐに分かった。

 

 このような工作が数日続き、自白剤も入れられた。自白剤の方が先で、体を操作されたのが後かも知れない。その辺りの順番は曖昧なところがある。いずれにせよ、クスリが入った状態になったため精神的にも物理的にも自らのコントロールを完全に失っており、彼らに聞かれるがままに何でも話していた。それでも、僕が落ちなかったのは、裁かれるような犯罪がなかったからである。彼らは何のレバレッジも持っておらず、彼らが持っていたのは暴力と電波装置だけだった。それらを使って、僕を脅し続けたが、数日間耐えると、今度は彼らがそれ以上の工作が出来ないようになってしまった。

 

 これが2013年に起こったことで、多くの政治家は何があったかを知っている。もちろん、アメリカの連邦議員であれば、ほぼ全員が知っていたはずである。この海軍ヤード銃撃事件の上院によるレポートはこの事案以降に書かれている。つまり、レポートを書いた人たちは電波操作が何か知っていたはずであり、この銃撃事件自体がその結果であることも気付いていたはずである。