この海軍ヤード銃撃事件を含めた他の事案と比べて、僕のケースは特殊なところがある。それは僕が事前からスパイの工作を受けていたという事実である。

 

 中国の公安に暗殺されそうになったのが2011年の終わりで、その頃からはっきりと周りにはスパイが現れるようになった。その頃同時に、僕はいろんな問題で複数の国から捜査を受けていた。もちろん、それらは犯罪事実が存在しないえん罪であったが、それでも彼らは問題が大きくなりすぎたために、その線で進め続けるしかなくなった。スパイが身を隠さないことが増え、明示的な工作活動も行うようになった。そして、彼らにスパイになるように勧誘されたのが2012年11月である。

 

 現実的には、それまでの数十年間もスパイの工作対象者であったが、全く気付いていなかった。それがこの2011年以降、最早、彼らは明らかに工作を行うようになってきた。その状況下で、2013年4月からあからさまな電波操作を受けるようになった。もちろん、それまでも電波操作自体は受けていたが、自分の体も外部から操作されるような工作を受けたので、そこに何らかの技術があることはすぐに分かった。

 

 つまり、電波工作がスパイによって行われているのは明白であった。そして、そこにはCIAと警察の公安部門が絡んでいることも分かっていた。

 

 僕が彼らの仲間になっていたら、このような工作を受け続けることはないだろう。しかし、彼らの一味になって、自らをライオンとうそぶいて、一般の人びとを羊と呼んで、そんな馬鹿な生活を生きたいとは全く思えなかった。それでスパイになるのを断るが、当時はまだ電波操作で一般の人びとを羊として虐げられる能力は知らず、時間が経てば、スパイも諦めるだろうと思った。

 

 その当時は香港にいたが、そこから東南アジアに逃げた。しかし、それでもスパイの工作は変わらず、彼らはどこに逃げても支配的に工作を行っていた。実際に、いろんな場所で多くの普通の人が強制的にスパイの工作にかり出されていた。このままでは、いろいろ疲弊すると思ったので、結局、その年末に日本に戻って南西諸島に行った。

 

そして、この銃撃犯もその時沖縄にいた。彼は僕が奄美に行った翌日に、軍の下請けの電設会社を辞めている。それも電波操作の結果のような気がしているが、はっきりとは結論づけられない。ただ明白な事実としては、僕を狙っていたCIAの工作員は彼と僕の両方を確実に知っている。

 

 このような流れの中で、沖縄から転戦して北海道に逃げたときに電波操作と直面する。だから、どこから聞こえてくるか分からない声を聞いた時点で、それが単なる不思議なものだとは思わずに、どのような技術で実行されているのかを考えるようになった。そう言う意味でも、他の工作被害者とは違う観点に立っていた。