幼保一体化の議論は福島瑞穂少子化担当大臣の下で方針が決定され、政策を具体化するために2010年10月14日に幼保一体化ワーキングチームの第一回会合が開かれた。この会議は内閣府の管轄であるが、担当省庁でもある文科省と厚労省も深く議論に参加していた。この時、文科省を代表してこの議論に参加していたのが、前川喜平大臣官房総括審議官である。

 

 この幼保一体化政策はうまく行かなかった。正確に言うと、政策自体はまとめ上がり、法案も予算も出来ていたが、僕が潰した。

http://ameblo.jp/multifractal/entry-12183799812.html

 

 ただ、この表現は不正確かもしれない。幼保一体化政策を実際に止めたのは、当時の少子化担当大臣の岡田克也副総理である。それはこの幼保一体化政策に問題があったからである。僕がそれを発見して文章として書き上げ、それを受けて、岡田副総理がこの政策を断念した。

 

 問題の本質は幼保一体化が当初の目的の少子化に適わなかったことにある。幼稚園は文科省の管轄にあり、保育所は厚労省の管轄にある。幼保一体化とはこの管轄は重ね合わせることになるが、結局、彼らは幼稚園と保育園を別物として扱うことになった。つまり、幼稚園からこども園に移行した組織は3歳未満の児童の受け入れなくても良くなった。

 

 少子化の大きな問題の一つは2歳未満の保育所のキャパシティが足りないことであり、当初は数が余りだしていた幼稚園にその部分を担って貰おうという考え方であった。少なくとも、それが厚労省側の立場であり、合理的な考え方でもあった。一方で、文科省サイドは現状維持を画策し、こども園に移行しても今までと同じように3歳児からの受け入れの幼稚園的組織を維持しようとした。

 

 しかし、こども園に移行しても3歳未満を受け入れないような政策であれば、幼保一体化は全く少子化のために役立たない。それはこの政策が少子化のために作られたことに大いに反していた。にも関わらず、この政策には7千億円の予算が用意された。

http://ameblo.jp/multifractal/entry-12188103930.html

 

 この政策はあまりにも馬鹿げており、担当大臣だった岡田副総理もこのような仕組みに出来上がっていることに気付いていなかった。結局、僕が調べた上げた結果として、この政策は潰れ、僕は7千億円の予算を期待していた人たちに恨まれることになった。

 

 恨まれることにはなったが、僕は自分のやったことは正しかったと思っている。それよりも、どうして文科省はこのような方向に政策に持って行ったのか知りたい。それに加えて、僕が政策を潰したことをどう思っているのかを、前川喜平氏に聞きたい。