米津氏との接触はロンドンだけでなく、東京に行ってからもコンタクトを取るようになった。つまり、彼は僕に対する新たな工作を任されていた。

 

 僕が東京に行ったのは2003年で、米津氏からはいつも絶妙なタイミングで連絡が来た。基本的に仕事しかしていなかったので、誰かと外に出掛けることはほとんどなかったが、いつも絶妙のタイミングでスポーツに誘ってきた。こちら側に何かの変化が起きる度に、彼からは連絡が来た。それにも関わらず、米津氏はいつも僕に会いたくないようで、小言と文句ばかりを言っていた。

 

 その時点で気付いておくべきだった。結局、彼は仕事として僕に接触しているだけで、それさえ分かっていれば、背後に問題があることに気付いたかも知れない。

 

 結局、当時はCIAが日本でどのような活動をしているかを理解していなかった。政治工作をやっているとも知らなかったし、日本で経済情報を集めているとも知らなかった。そして、その活動のためには日本人アセットが必要で、僕はずっとその対象者だった。あるいは、僕がいろんな工作を切り抜けていたために無害化の対象者だった。周りでいろいろ問題が起こっていたが、それでも、それらがアセット化のための工作だと知らなかった。

http://ameblo.jp/multifractal/entry-12236113591.html

 

 当時の米津氏の目的は、僕をCIAのアセットとして獲得することだった。そのための監視を行っていた。そして、インサイダートレーディングに嵌めようとしていた。もちろん、そういう問題を起こさなかったために、依然としてCIAに狙われたままでも生きているが、今から思い返すと危なかったような気がする。

 

 僕がインサイダー取引をしなかったのは法学部出身だからである。その先に何が待っているかは分かっていた。僕の周りには違法行為を行っていると思われる人たちがいたが、彼らは一様に法律を破ると何が待っているか理解できていないようだった。それは正しさの問題というよりは、法的感覚があるかないかの問題だけである。

http://ameblo.jp/multifractal/entry-12196508822.html

 

 だから、僕はなかなかスパイの策略に落ちず、米津氏はいつも嫌々ながら連絡を寄越してきた。