伊達興治は裏理事官出身の警察キャリアであり、確実に電波操作を知っていた。と言うよりも、彼は電波工作に深く関わっていた。

 

 彼は1996年7月まで北海道警察本部長を務め、その後、関東管区警察局長を経て、1997年4月に公安全体を指揮する警備局長になる。彼が警備局長として国松長官銃撃事件の隠ぺい工作に関わった話は書いた通りであり、それは自分に対する工作も知っていたということであり、また、電波操作に積極的に関わっていたことを意味している。そして、それを知っていたと言うのは、自分に対する工作が左翼過激派の後継者を作る工作から始まっていることを知っていると言う意味である。

 

 彼が裏理事官を勤めたのは1980年前後の話であり、警備局長になるもっと以前から電波工作に関わっていた。それは彼が北海道知事になる前から電波工作に関わっていたことを意味している。

 

 民主党をサポートするような電波工作が頻繁に行われていたことも事実であり、1995年以降の横路の行動を鑑みると、彼がその時点までに電波工作に絡んだと見るのが妥当であり、また、そこには電波工作を完全に理解していた有力な警察キャリアである伊達興治がいた。

 

 民主党の結成自体は北海道で完結しており、それは横路が鳩山由紀夫を何らかの方法で口説き落としたことを意味しているが、その後、1996年秋までには横路も伊達も東京に戻っており、そして、まさしくその時期から公安の左翼過激化が進行していく。

 

 自分の理解では、公安の裏工作の左翼過激化はもう少し前から始まっていたと捉えている。それは90年代初めの自分に対する公安の対人工作が既に左翼過激化していたからである。一方で、公安全体が左翼過激化したのは伊達が警備局長になって以降だと認識しており、そこから、公安の対社会工作がより左翼化し過激化していく。

 

 そのスタートの1つが民主党の結成であり、最初のピークが小渕首相を倒した工作である。もちろん、その前にも後にも沢山の工作はあるが、横路と伊達が近づいた時点から工作が始まり、彼らが東京に戻った時点で公安の左翼過激化は全体化していった。

 

 そして、この政治工作はずっと続けられた。民主党結党から彼らの政権奪取に至るまでの過程において、いろんな対人工作と対社会工作が行われ、それらの多くが電波工作を伴っていた。多くの人が犯罪に巻き込まれたり、非倫理的行為を頻発するようになったり、病気になったり、死んでいったりしたが、それでも電波工作が秘匿されていたため、ほとんどの人は何が起こっているかすら分からなかった。

 

 かなり前に小沢一郎のマスクの話を書いたが、それは間違いなく電波工作を受けていた証である。彼がマスクを着ける話は2008年前後から始まっているが、それは彼がその時点では依然として電波工作の存在に気付いていなかったことを意味している。彼がその時点で知らなかったというのは、日本のほとんどの政治家は未だ電波工作の存在に気付いていなかったことを意味している。

 

 そのような状況でずっと電波工作が行われ、そして、今でもいろんな政治工作が電波装置を使って作られている。