民主党にはそもそも左翼過激派がいた。というのは、彼らの事務局の母体になるのは日本社会党右派であり、その中には元々過激派分子が存在していたからである。

 

 日本の治安機関が正式に左翼過激派と認識している組織の1つに革労協がある。

 

革労協とは来たるべき暴力革命の際に、前衛となり主軸となるために結成された組織である。つまり、それはマルクスとエンゲルスの共産主義宣言を具現化した組織であり、レーニンの路線を推し進める組織でもあり、定義的に左翼過激派そのものである。

 

 この組織は社青同から生み出された。この社青同とは社会党の青年団体が社会党から切り離されて結成された組織である。

 

 60年安保は暴力化し過激化したが、その主力の中に社会党の青年団体があった。社会党自体はこの青年団体をうまくコントロールできず、また青年側も社会党本部からの介入を嫌がったために、社青同という形で社会主義の新たな青年活動組織が作られた。また、このように切り離さなければ、社会党自体が政治的に闘争の過激化の責任を取らされる恐れがあった。

 

 この社青同は本質的には社会党の青年組織であり、依然として社会党の影響を受けており、社会党内部の派閥と結びつく形で右派から左派まで多数のファクションがあった。この後の社会党自体は左派が中心になって行くが、社青同も同じように左派がコントロールを拡張していく。

 

 この中の最左派の1つが解放派という派閥であった。この解放派というのは日本を暴力的革命によって解放することを目指しており、当初はその派閥名も秘匿されていた。つまり、この集団は共産党宣言の申し子であり、最初から過激化する必然性を持った組織であった。

 

 この組織が更に先鋭化したのが革労協であり、よりはっきりと暴力的革命の際の前衛となるために作られた。つまり、社会的に彼らが左翼過激派として認識されただけでなく、そもそも、彼ら自身も暴力的革命を目指す左翼過激行動を前提としてこの組織を結成した。

 

 つまり、社会党の中に過激派が紛れ込んできたという構図ではなく、そもそも社会党の構成員が過激化し、革命を目指すために作られた組織が解放派であり、革労協であり、定義上も認識上も、それは左翼過激派であった。そして、彼らが民主党の党運営に関わることになる。