小林武仁が左翼の警備局長だったのは間違いない。

 

 彼が書いた本に「日本労働運動要説 : 労働運動の事件史的点描」というものがあり、彼は警察官僚としてこの本を書いているが、この本では労働運動批判が抑制されている。それは労働運動に敵対的な公安畑の警察官僚から一般的に想定されるものではなく、それだけでも彼が左翼思想の影響を受けていたと言える。

 

 そして、彼は村山内閣の首相秘書官であった。

 

 この2つの事実を組み合わせると、彼は間違いなく左翼である。日本社会党首班の政権下で、労働運動に批判的な警察官僚を秘書官にするはずがなく、逆に、社会党側は小林が左翼活動にシンパシーを感じているのを知っているため、村山内閣の秘書官に就けている。

 

 ただし、これは彼が左翼思想を持っていたという意味であって、この事実だけで彼が過激化したとまでは言えない。彼は松下金融大臣が死んだ直後に亡くなったため、彼がどのように電波工作に関わっていたかを説明する機会は既に奪われている。

 

 これに加えて、彼も在外経験者であり、在アメリカの一等書記官であった。優秀な警察官僚は在外勤務を経験するので、この経歴自体に問題があるわけではないが、このような在外経験者を中心として日本版CIAを作ろうとした動きが過去にあり、それは、そもそもCIAの工作の一部を公安が担おうとする動きであった。

 

つまり、このような経歴の中には多くのCIAアセットが紛れ込んでいる。

 

 彼が在外勤務する時点では既に労働運動の本を出しており、既に左翼シンパだというのは知れ渡っていたはずである。彼がアメリカに送られたのはそれを知った上での人事である。もし、CIAがこの人事に関与したのであれば、この時点既にCIAは公安内部の左翼人脈を意図的に狙っていた可能性がある。

 

 そして、このような経歴の人たちが深く電波工作に関わっている人たちでもある。

 

 そもそも、彼を警備局長に選んだのは漆間巌警察庁長官であり、これら全てが意味しているのは小林がほぼ間違いなく電波操作を理解していたということである。そうなると、彼も理想追求のために電波工作を利用した可能性はあるが、その点に関してまでは分からなかった。