1960年代から70年代にかけて学生だった警備局長は以下の13人である。

 

吉野準

菅沼清高

杉田和博

伊達興治

金重凱之

漆間巌

奥村萬壽雄

瀬川勝久

小林武仁

米村敏朗

池田克彦

西村泰彦

高橋清孝

 

 1960年以前に任官していれば、その警察キャリは左翼化しない可能性が高い。戦後すぐから左翼化した学生はもちろん沢山いたが、警察は少なくとも過激思想に染まりそうな人間を採用する必要がなかった。と言うのも、そのような影響を受けていない学生も多数いたからである。

 

 一方で、1960年代の学生を採用対象にすると、左翼化した学生を排除するのはかなり難しい。そもそも、公安畑の警察キャリアの母集団はほぼ東京大学法学部から採用されており、そこには左翼思想の中心人物である丸山真男を含め、多数の左翼の先生がいた。

 

結局、当時の社会ではマルクス主義を中心に左翼思想は忌避されておらず、また、そのような志向を持つ学生は一般的であったため、警察が母集団の8-9割を東京大学法学部とする限り、多くの左翼思想を持った学生が警察キャリアになった。

 

 もし、母集団をもっと幅広くしていればそれほど左傾化しなかったと思うが、当時の東京大学法学部生を20人採用し、20人とも左翼思想の影響を受けていなければ奇跡である。逆に、半分以上が左翼思想を持っていても特に驚きはない。

 

 更なる問題は、東京大学が左翼過激思想の根源の1つであったことである。実際に、過激思想の理論化は多くの東大出身者によって担われており、彼らは暴力的革命を正当化するする理論を構築し、それが東大紛争にも影響を与えていた。

 

 このような傾向が顕著になるのは1960年の安保闘争以降であり、それ故に、それ以降に学生であった人物の中に単に左翼思想を持っていただけでなく、過激思想を持ち、過激化していた人たちがいた。

 

 それでも全ての警備局長が左翼化したわけでもなければ、全ての左翼思想の持ち主が過激化したわけでもないが、そのような過激化した人物が実際に公安のトップになったことが日本にとっては大きな問題であった。