伊達興治は1930年生まれで、1966年に東京大学法学部を26歳で卒業し、その年に警察庁に入庁する。いつ大学に入学したかは確定できないが、かなりの長期間大学にいたはずであり、その理由はほぼ2つしかない。

 

 それは左翼活動をしていたか、司法試験を勉強していたかのいずれかである。この時期の左翼活動は一般的であり、特に、彼は60年安保を大学生として経験しているはずであり、そこから26歳で官僚になったのだから、それは司法試験勉強者の選択としてはレアであり、左翼活動が主な要因だと思う。

 

 つまり、左翼活動をしていたものの、それを途中で諦めて、警察に入ったのではないかと思う。自分にはその答えは分からないが、これが正しいかどうか知っている人たちはいるだろう。

 

 石川重明はおそらく1962年入学のため、大学時代が被っている。つまり、この2人の関係は単に年次の上下だけではない可能性がある。また、裏理事官経験者という意味でも、伊達興治が石川重明の先輩に当たる。

 

 國松長官銃撃事件の隠蔽工作に関しては、伊達が決裁したのではなく、大物OBが決めた可能性が高いと思っているが、それでも、彼は隠蔽工作に関わっている。それは、彼が警備局長として隠蔽工作を安定化させたからであるが、それだけでなく、彼が裏理事官出身だからである。

 

 銃撃事件の隠蔽は北朝鮮との関係と公安の左翼過激化に繋がっており、過激化を進めたのはこの年代の誰かにしかできない。石川重明も杉田和博もその候補に挙げられるが、自分は伊達が張本人ではないかと思っている。

 

 次に挙げるのは伊達興治の参議院における答弁である。

 

 小杉元巡査長が同事件の犯行を自認する供述をしている事案につきましては、これまで警視庁において事情聴取を進めるとともに、その供述について、目撃者に対する再度の聞き込みやけん銃の捜索等の裏づけ捜査を鋭意進めてきたところであります。

http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc_text.cgi?SESSION=51534&SAVED_RID=6&SRV_ID=7&DOC_ID=5608&MODE=1&DMY=54353&FRAME=3&PPOS=140#JUMP1

 

 これは1997年4月8日の答弁であり、彼が4月4日に警備局長に就任してすぐの発言である。この直前の2月に催行催眠がマスコミにリークされており、小杉敏行が犯行を実行したとは断定していないものの、公安は彼が犯人であるという印象操作を行っていた。

 

 彼は裏理事官出身であるため、小杉の自供が電波操作によるものだということはすぐ分かるはずであり、それにも関わらず、このように言っているのは彼が電波工作した側にいたことを意味している。

 

 つまり、彼は公安工作を完全に抑えていた裏工作ライン出身の警備局長であった。