伊達興治は裏理事官を経験した公安畑の警察官僚であり、1997年に警備局長に就任した。國松長官銃撃事件当時は北海道警察本部長であったが、その翌年には関東管区警察局長になり本庁に戻ってくる。

 

 彼は石川重明よりも年次が上の裏理事官経験者であり、石川重明が銃撃事件の担当を刑事部から公安部に移した際に、彼に決裁を求めた可能性は十分にある。官僚組織において年次は大きな意味を持っているが、警察庁のようにキャリアのほとんどが東京大学法学部出身で占められている場合、その上下関係はそのまま大学における先輩後輩の関係になり、より大きな影響を持つ。

 

 また、警察は上意下達の強い組織構造を持っているため、年次がほぼそのまま階級役職差に繋がるため、年次差は彼らの組織内行動に大きな影響を与える。

 

 この銃撃事件の初動の隠蔽工作は石川重明が始めており、当時の警視庁の桜井公安部長は知らなかった可能性が高い。と言うのも、当初、彼は公安が事件の担当をすると思っていなかったが、突然呼び出されて公安案件になったことを発表させられたからである。

 

 隠蔽工作の初動工作を考える上では、この流れを警察庁の杉田警備局長が知っていたかどうかが重要なポイントになる。桜井のレポーティングラインは2つに分かれており、それらは杉田に繋がる公安の指揮命令系統と当時の井上警視総監に繋がる系統であった。

 

公安は独自のラインにより影響を受けるため、桜井が隠蔽工作を知っていたのであれば、ほぼ確実に杉田は知っていたことになるが、この場合、両方知らなかった可能性がある。

 

 この点は重要であり、杉田警備局長は明らかに隠蔽工作を指示できる立場に1人であった。彼が命じていないのであれば、警察内部で同様の影響力を行使できたのは伊達興治の可能性が最も高い。当時の警察幹部の中で、彼がこのラインの最も有力な幹部であり、それは彼が杉田の次の警備局長になった点からも明らかである。

 

 ただし、彼が最終決裁者だと断定できない理由もあり、それは警察OBがこの隠蔽工作を指示した可能性を否定できないからである。その場合、決裁を行ったのは大物OB以外ではあり得ず、警察庁長官OBである可能性が極めて高い。

 

つまり、伊達興治は最終決定者の可能性がある数人の1人であるものの、それだけでは彼が命じたとは言えず、また、彼ではない可能性の方が高い。とは言え、彼がこの問題に深く関わっているのは間違いない。