石川重明が國松長官銃撃事件の捜査担当を警視庁刑事部から公安部へ変更させた諜報人であるため、彼が隠蔽工作に関わっているのは間違い。と言うよりも、彼は隠蔽工作の初動を行ったので、かなりの重要人物である。

 

 彼の関与はそれだけでなく、芦刈勝治が平田信の逃亡先の安定化工作を行っていたのに対して、彼が残りの2人の川崎潜伏を幇助した神奈川県警本部長であった。つまり、石川正一郎が潜伏計画を書いて、関東では石川重明が現場の管理を行い、関西では芦刈勝治が指揮を執っていた。彼らは当時の重要手配人であったため、本部長管理の下で逃亡の定着が図られたのだろう。

 

 そもそも、石川重明が公安部に長官事件の捜査を任せたのは、当時は警視庁刑事部がオウム事件の捜査で手一杯であったため、銃撃事件の捜査をできないというロジックであった。

 

 しかし、それから数ヶ月以内に、長官銃撃はオウムが実行したと言うことになる。にも関わらず、依然として公安部が捜査を続行しているが、これはロジックとしてはおかしい。彼らの行動は最初から破綻しているが、無理にいろんな工作を行ったために、所々に大きな痕跡が残っている。

 

 ちなみに、川崎にいた逃亡犯2人の周りにもアンダーカバーの公安職員がいたはずである。3人の逃亡計画は石川正一郎が立案しているため、隠蔽工作は同じ傾向をもっているはずである。その警官が誰かは分からないが、マスコミが丁寧に調べれば、その人物を見つけ出せるはずである。

 

 公安はこの逃亡犯工作を利用して、自分を平田信の同僚にし、自分もオウム関連者に見せる工作を行ったが、そこまでの決裁は石川正一郎にはできない。1996年当時、自分の無害化工作を行っていた芦刈勝治が要求した可能性は否定できないが、実は、自分に対するオウム工作が始まるのはその年の春であり、平田信が奈良に来るのはその年の末である。

 

 つまり、時期には微妙な差があり、警察庁本庁にいなかった芦刈がそのような工作を求められる状況にはなかった。自分をその時点でそこまで狙っているのは後にも先にも漆間巌しかいないため、この結論は漆間が工作の決裁に関わったことを意味している。

 

 しかし、石川重明は漆間より年次が上であり、神奈川県警本部長にこの隠蔽工作を行わせたのはもっと高位の人物である可能性が高い。

 

 そうなると、隠蔽工作全体を決裁した可能性のある人物は数人しかおらず、それは当時の警察庁のトップファイブの中の誰かか、あるいは、長官OBの可能性が極めて高い。