石川重明は電波工作を確実に知っているが、それは彼が裏理事官経験者だからである。公安の裏工作機関こそが日本で電波工作を担っていた組織であり、その担当官である裏理事官は電波操作の技術を理解していなければ工作の計画が作れない。

 

 つまり、石川重明は裏理事官を担当するまでに電波工作技術を知っていたはずであり、それは國松長官が撃たれた時点では既にこの技術を知っていたことを意味している。

 

 彼は裏工作ラインの警察キャリアの主要人物の1人であり、2000年時点では官房長を務めていたが、彼は警察庁長官にはなれなかった。当時、電波操作で倒れなかったのは彼と当時の田中長官だけであり、工作の結果として、彼が長官に昇進してもおかしくなかった。

 

 しかし、現実には佐藤次官が病院送りから復帰して長官に昇進し、その空いた次官ポストに漆間巌が入る。この時期以前に電波工作を受けて金重警備局長が退職し、漆間が警備局長になっており、そこから次長、長官と順当に出世していく。

 

 問題はどうして裏工作ラインは漆間巌を選好して、石川重明を選好しなかったのかという点になる。それは石川が左翼過激派シンパではなかったからだと思う。

 

 彼は大学5年生で司法試験に通っているため、一般的に考えると、大学1-2年生の段階から司法の勉強を始めているはずである。それもかなり根を詰めて勉強しているはずで、学生運動をしていてはこのスピードでは合格できない。これはロシア語を喋れる漆間とは大きな差である。

 

 漆間は24歳で大学を卒業し、それは1969年の安田講堂が落ちた年である。一方で、石川重明も24歳で警察庁に入り、それが前年の1968年になる。しかし、彼は卒業した後に学士入学という形で再入学して1年多く法学部におり、それは純粋に公務員試験を受けて、官僚になるためだった可能性が高い。

 

 つまり、石川重明の大学時代の経歴は左翼活動とはほぼ無縁であることを意味している。と言うよりも、当時は学生運動が盛んだったにも拘わらず、学生運動にほぼ興味すら見せていないキャリアと言っても良い。

 

 だからこそ、そこに電波工作があったものの、彼が警察庁長官に選抜されなかったんだと思う。